京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

オロロンライン(にしん街道)をゆく

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日本海オロロンライン北海道日本海側石狩市から稚内までの国道231号・国道232号の愛称である。オロロ

ンとは天売島に住むオロロン(ウミガラスの別名)にちなんだものである。なお天売島(てうりとう)とは北海道留

萌振興局管内の苫前郡羽幌町にある羽幌港の西30kmの日本海に浮かぶ島をいう。島の東側に並んで浮かぶ

焼尻島とともに羽幌町に属している。面積5.50km2、周囲約12㎞、人口は377人(平成22年4月現在)。島の名は、

アイヌ語の「テウレ」(魚の背腸)、もしくは「チュウレ」(足)に由来すると言われている。オロロンラインは石狩から

ただひたすら日本海の海岸線に沿って北上し、稚内に達する道北の基幹道路でもある。その途中にある留萌を

わたしどもは目指す。石狩市厚田区というところがある。そのあたりを通るオロロンラインは別名「にしん街道」

ともいう。にしんは産卵場や産卵期、回遊範囲などが異なる多くの系群に分けられ、なかでも北海道日本海側

小樽市石狩市の面する石狩湾では主に「石狩湾系群」「北海道・サハリン系群」が水揚げされる。漁期の1月

下旬~5月上旬には、にしんの通り道に網を仕掛ける刺し網漁が行われる。1897年、北海道において97万トンの

漁獲量をピークに次第に減少し、1950年代後半には幻の魚と呼ばれるまでになったにしん。にしん漁は明治時

代、小樽や石狩の経済基盤を築いたと言われるほど大規模な産業で、人を集め、町を栄えさせた歴史を持つ。

幻の魚となる直前の1953年でさえ、石狩振興局管内における漁獲の87%はにしんが占め、後の劇的な漁獲量の

減少は人々の生活に甚大な影響を与えた。そのため地域では漁業の再繁栄が強く望まれ、1996年、石狩振興

局はにしんの資源増大対策の一環として、16万尾の稚魚放流を実施。これを筆頭に、現在では北海道内の各

地区で年間200万尾以上の稚魚が放流されているという。こうした努力が実り、近年は約半世紀以来の群来(に

しんが大群で産卵することによって、雄の精子で海が白く濁る現象)がもたらされるまでになった。しかし、年によ

る水揚量の変動はまだ大きく、漁師は資源を枯渇させた歴史を繰り返さないため、漁獲規制による資源保護に

も力を注いでいるという。