京・近江の写真 春夏秋冬

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愛読書25「胡蝶の夢」

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胡蝶の夢」は、「朝日新聞」朝刊に、1976年11月11日から1979年1月24日まで連載されました。

徳川幕府の倒壊と15代将軍慶喜の苦悩、また戊辰戦争での軍医としての松本良順、順天堂出身の関寛斎の姿

があざやかに描き出されています。その一方で、記憶力と語学習得力は抜群ながら、人間関係の構築のまずさ

で不利を被っている島倉伊之助(後の司馬凌海)の姿が、この両者とは違った形で描かれています。幕末から明

治維新の時期を政治でなく、医療の目から、またその医療を通しての身分制度批判という観点から見た作品で

す。

◎わたしと「胡蝶の夢

司馬さんはこの作品の中で、江戸期の身分制度に言及し、ポンペの持ち込んだ西洋医学はまた、当時のオラン

ダの社会そのものを具現しているともしていました。当時の日本の場合は、身分ごとに医師が分かれており、そ

のため、オランダ人医師ポンペがコレラの大流行時以前から見せていた、身分の区別のない「医者と病者」とい

う区分は、良順にとっては目からうろこが落ちるような思いであった。附属病院を作る際にもこの思想が基盤に

なっている。これに関して、司馬は「胡蝶の夢の連載を終えて」で、身分制社会からの浮上方法としての蘭学、ま

た医学に感じた限界について語っており、適塾と順天堂の違いについても触れている。この小説のテーマとも

なっている身分制社会からの浮上、また、江戸の身分制を切り裂く存在としての西洋医学蘭学)に関しては小

説中にも述べているが、いずれにせよこの存在が、江戸期の日本というものを大きく変えてゆき、また、断片的

な知識の授与であった日本の西洋医学が、ポンペの授業によって組織的になったことも意義深いとしている。

松本良順は幕府の西洋医学所の頭取とな、長州征伐で大阪城にいた徳川家茂を診察する場面や、京都に詰め

ていた新選組への助言と健康診断を行い、この壮士集団に急速に親しみを覚えるようになり、後の戊辰戦争

も彼らに協力するようになるくだりなど、明治維新を医師という立場からみたという今までと違った切り口での物

語の展開に興味は尽きません。