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愛読書23 「尻啖え孫市」

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尻啖え孫市」は1963(昭和38年)7月から1964(昭和39年)7月にかけて「週刊読売」で連載され

ました。戦国時代鉄砲技能集団として名高かった雑賀党を率いた雑賀孫市鈴木孫一)を主人公にし

た作品で、雑賀党を構成する有力家系の一つである鈴木氏の当主は代々「孫市(孫一)」という名を襲

名することが慣例となっていました。そのため諸史料に登場するその名の人物には、その名を名乗った

複数の人間(鈴木重意重秀重朝など)の事跡が混同されて記されていて、個々人の事跡を明確に判

別することは困難であり、本作の物語は織田信長本願寺勢力による石山合戦を背景にしていますが、

そこで活躍する孫市の人物像や彼を取り巻く群像はほぼ作者の創作であり、事件・事象の展開にも史実

からかなりの改変があり、作中の孫市は、司馬さんによると「当時の雑賀者の性格を一人に集約すれ

ば、おそらくこうだっただろうということで創った人物像」といっています。
 
◎わたしと「尻啖え孫市」

雑賀衆15世紀頃に歴史に現れ、応仁の乱の後、紀伊国河内国守護大名である畠山氏の要請に応じ

近畿地方の各地を転戦、次第に傭兵的な集団として成長していきました。紀ノ川河口付近を抑えること

から、海運や貿易にも携わっていたと考えられ、水軍も擁していたようです。種子島に鉄砲の製造法が

伝来すると、根来衆に続いて雑賀衆もいち早く鉄砲を取り入れ、優れた射手を養成すると共に鉄砲を有

効的に用いた戦術を考案して優れた軍事集団へと成長していきます。昭和44年に封切られた大映の映画

「尻啖え孫市」では主人公の孫一を当時の時代劇スター中村錦之介が扮し、スクリーン一杯に活躍して

いたのが思い出されます。いずれにしてもこの雑賀衆と同じ紀州根来寺一帯に住み着いていた根来衆

が鉄砲集団として特異な存在感を示し、伊賀甲賀の忍者衆とともに武士が中心であった戦国の時代にも

かかわらず戦いの勝敗を左右した軍事集団であったことに驚かざるを得ません。