金沢城は五代藩主綱紀の時代に改修されたとき、屋根瓦が鉛瓦にふきかえられた。鉛瓦と言っても、全てが鉛
で出来ているわけではない。瓦の形をした木に、厚さ4~8mmの鉛板を貼りつけたものである。他の城でも鉛瓦
は一部用いられているが、金沢城のように櫓(やぐら)や門、塀の全てに用いられた例は他にない。鉛瓦が用いら
れたのには、次の三説が考えられるといわれている。
「城の意匠として気品があるから使われた」といわれる説。これは、なまこ塀の城壁と、時がたつにつれてくすん
だ銀色になる鉛瓦が、城全体に気品をもたらすことからきた説。当時の人達は、最初は銀色に輝く鉛瓦が、時が
たつにつれ、燻銀(いぶしぎん)にかわり、落ちついた風合いを出すことを知っていた。そのことから、堂々と落ち
ついた風合いを出すことを知っていた。そのことから、堂々と落ちついた城になるように、この瓦を使ったといわ
れている。
金沢城で鉛瓦が使われた理由の一つは、「いざという時に、鉛を弾丸として使うため」といわれるもの。戦国時代
の城では、必ず武器や弾薬が蓄えられていた。金沢城の場合、鉛は屋根瓦として使うことで、戦に備えた実益も
兼ねていたと考えられている。
「寒冷地なので、焼き物瓦では長持ちしないから」といわれる説。これは、豪雪地帯で厳寒の北陸では、当時の
技術の焼き物瓦では長持ちせず、城の維持を考えた場合、大変なコストがかかるため、鉛瓦になったのだという
説。また、鉛瓦の芯の部分に木の板を使ってあるのは、屋根の総重量を少なくするための工夫だといわれてい
る。五十間長屋の窓から見ると鉛瓦が春の陽の白く輝き、まるで雪が降り積もったように見え、なお美しさが増
すようである。