緩やかな登りの参道を進み、瀟洒で優美な総門を入ったところで受付を済ませ、更に歩を進ませると正面に山
門が見えてきた。寛政七年(1795年)井伊家の援助等により7年の歳月を費やし享和二年(1802年)完工した。楼
山門をくぐり、なおしばらく歩をすすめると方丈(本堂)が左手に威容を現した。康安元年(1361年)佐々木氏頼が
創建。しかし度重なる兵火、火災により消失の難にあった。現在の建物は明和二年(1765年)、井伊家の援助に
より建立されたもので、屋根は国内屈指の葦葺きである。正面には本尊、世継(よつぎ)観世音菩薩が奉安され
ている。周囲を圧倒するような茅葺きの大屋根とそれを支える建屋が美しいほどに、そして軽やかに調和し、な
にやら豪族か大庄屋の住家のような印象さえ受けてしまう。軒下に吊り下げられた幔幕の色合いがアクセントに
なっていて、ようやく方丈であること気がつくほどである。方丈の左手には鐘楼があった。過去4度の兵火や火災
があり、現在の鐘楼は安永元年(1772年)に再建された。大鐘は太平洋戦争時供出したが、昭和二十三年再鋳
されたという。
方丈に上がり参拝して振り返ると、方丈の前の庭木は境内の他の木々より紅葉が進んでいて、秋の風に幔幕が
ゆっくりと、穏やかに翻り、その影を縁側の廊下に落としていた。