世紀末に再建され、平成15年(2003)解体修理された。三間一戸、正面約10メートル、側面約4.8メートル、軒高
年(1631)再建。その後ろにあるのが三重塔で江戸時代初期、重要文化財。平安初期847年創建と伝え、現在の
塔は古様式に則って寛永9年(1632)の再建。日本最大級の三重塔で高さ31メートル。昭和62年(1987)解体修
理、総丹塗りと共に桃山様式を示す各重横木の極彩色文様を復元した。
舞台は青葉に隠れ眺めることは出来ないが、舞台の下部構造の木組みと石垣が美しい。
ことわざに「清水の舞台から飛び降りたつもりで・・・」というのがある。
江戸期の庶民信仰 願いがかなう? 江戸時代、多くの庶民が願をかけて飛び降りた清水の舞台「清水の舞
台」からの飛び降り事件は、江戸時代に計234件にのぼっていたことが、清水寺の古文書調査で、このほど分
かった。ことわざ通り「飛び降り」が頻繁に起きていたことが実証されたが、時代背景に「命をかけて飛び降りれ
ば願いごとがかなう」という庶民の信仰があったという。
めたもの。記録は江戸前期・元禄七(1694)年から幕末の元治元(1864)年までだが、間に記録が抜けている分
もあり、実際は148年分の記述が残っていた。調査によると、この間の飛び降り事件は未遂も含め234件が発生
した。年間平均は1,6件。記録のない時期も発生率が同じと仮定すると、江戸時代全体では424件になる計算とい
う。男女比は7対3、最年少は12歳、最年長は80歳代。年齢別では10代、20代が約73パーセントを占めた。
清水の舞台の高さは13メートルもあるが、生存率は85,4パーセントと高い。10代、20代に限れば90パーセントを
超す。60歳以上では6人全員が死亡している。京都の人が最も多いが、東は現在の福島や新潟、西は山口や愛
に嘆願したという記録も残る。明治五(1872)年、政府が飛び降り禁止令を出し、下火になったという。
お寺では「ことわざがなぜ生まれ、現実はどうだったのかという関心から調査を始めた。江戸時代に庶民の間で
観音信仰が広まり、清水観音に命を託し、飛び降りて助かれば願い事がかない、死んでも成仏できるという信仰
から、飛び降り事件が続いたのだろう」と話している。
舞台は高さ13メートルの懸崖に縦横に柱を組んで張り出した構造は”地獄止め”と言われ、1本の釘も
使わず、見事な構築は美しい造形美である。それにしても下から見上げた舞台は実際の高さより高く見
え迫力があり、上から飛び降りたらとても生存率は85,4パーセントと思えないのだが、途中の樹木が生
存率を高めるのだろうか・・・。