京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

初夏の古都(清水寺)

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参道が途切れ展望が開けると清水寺の正門である仁王門が目に飛び込む。室町時代の創建で応仁の乱後、15
 
世紀末に再建され、平成15年(2003)解体修理された。三間一戸、正面約10メートル、側面約4.8メートル、軒高
 
8.5メートルの、室町時代の特徴を示す堂々たる楼門で重要文化財に指定されている。入母屋造り、桧皮葺き。
 
昔ながらの丹塗りで“赤門”と呼ばれる。その後ろに続くのが西門(さいもん)江戸時代初期、重要文化財寛永8
 
年(1631)再建。その後ろにあるのが三重塔で江戸時代初期、重要文化財。平安初期847年創建と伝え、現在の
 
塔は古様式に則って寛永9年(1632)の再建。日本最大級の三重塔で高さ31メートル。昭和62年(1987)解体修
 
理、総丹塗りと共に桃山様式を示す各重横木の極彩色文様を復元した。
 
今回は清水寺の境内に入らず、仁王門の石段下の右手から清水寺舞台の下を通って「音羽の滝」に向かう。
 
舞台は青葉に隠れ眺めることは出来ないが、舞台の下部構造の木組みと石垣が美しい。
 
ことわざに「清水の舞台から飛び降りたつもりで・・・」というのがある。
 
江戸期の庶民信仰 願いがかなう? 江戸時代、多くの庶民が願をかけて飛び降りた清水の舞台「清水の舞
 
台」からの飛び降り事件は、江戸時代に計234件にのぼっていたことが、清水寺の古文書調査で、このほど分
 
かった。ことわざ通り「飛び降り」が頻繁に起きていたことが実証されたが、時代背景に「命をかけて飛び降りれ
 
ば願いごとがかなう」という庶民の信仰があったという。
 
調査は、清水寺塔頭成就院が記録した文書「成就院日記」から、飛び降り事件に関する記述を抜き出してまと
 
めたもの。記録は江戸前期・元禄七(1694)年から幕末の元治元(1864)年までだが、間に記録が抜けている分
 
もあり、実際は148年分の記述が残っていた。調査によると、この間の飛び降り事件は未遂も含め234件が発生
 
した。年間平均は1,6件。記録のない時期も発生率が同じと仮定すると、江戸時代全体では424件になる計算とい
 
う。男女比は7対3、最年少は12歳、最年長は80歳代。年齢別では10代、20代が約73パーセントを占めた。
 
清水の舞台の高さは13メートルもあるが、生存率は85,4パーセントと高い。10代、20代に限れば90パーセントを
 
超す。60歳以上では6人全員が死亡している。京都の人が最も多いが、東は現在の福島や新潟、西は山口や愛
 
媛にまで及んでいる。 門前町の人らが相次ぐ飛び降り事件に耐えかね、舞台に柵を設けるなど対策を成就院
 
に嘆願したという記録も残る。明治五(1872)年、政府が飛び降り禁止令を出し、下火になったという。
 
お寺では「ことわざがなぜ生まれ、現実はどうだったのかという関心から調査を始めた。江戸時代に庶民の間で
 
観音信仰が広まり、清水観音に命を託し、飛び降りて助かれば願い事がかない、死んでも成仏できるという信仰
 
から、飛び降り事件が続いたのだろう」と話している。
 
清水寺法相宗南都六宗の一)系の寺院で、広隆寺鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京
 
都では数少ない寺院の1つである。また、石山寺滋賀県大津市)、長谷寺奈良県桜井市)などと並び、日本で
 
も有数の観音霊場であり、鹿苑寺金閣寺)、嵐山などと並ぶ京都市内でも有数の観光地で、季節を問わず多く
 
の参詣者が訪れる。古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されている。
 
舞台は高さ13メートルの懸崖に縦横に柱を組んで張り出した構造は”地獄止め”と言われ、1本の釘も
 
使わず、見事な構築は美しい造形美である。それにしても下から見上げた舞台は実際の高さより高く見
 
え迫力があり、上から飛び降りたらとても生存率は85,4パーセントと思えないのだが、途中の樹木が生
 
存率を高めるのだろうか・・・。