京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

東海道と中山道の分岐点 草津宿

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近江草津東海道中山道が交わる東海道五十三次52番目の宿場町であった。
1601年に宿駅制が定められ 東海道には品川宿ほか10宿が置かれたが、草津もその一つとなった。草津宿は本陣二軒、脇本陣二軒、旅籠屋七十軒余りを有し大変な賑わいを見せていたという。
1712年、六代将軍 徳川家宣は全国主要街道に物資の動きをチェックする貫目改所を設置したが草津宿にも品川、府中と共に改所が設けられた。 
天皇や公家、殿様大名、幕府役人など身分の高い人だけの宿泊施設であった本陣が、今も草津市の中心部に残っている。 現在残っている草津本陣は、田中七左衛門本陣~木屋本陣と言われたもので1635年に創建され、その後類焼の災難にあったが 膳所城主本多家の特別の計らいで膳所城内にあった 「瓦ケ浜御殿」を拝領して再建された。 現在の建物はこの時のもので明治3年の廃止まで235年本陣として続いた。
1,400坪余りの広大な敷地に屋敷建坪468坪、部屋数39室268畳半を有し、桟瓦葺き平屋妻入りの建物であるり、本陣として最大クラスの屋敷である。
旧東海道中山道の分岐・合流点に位置し、直ぐ近くには その分岐を示す 『右 東海道いせみち 左 中山道美のぢ』 と刻まれた「追分道標」が昔ながらに建っている。
以上ウェブサイト「ROOM1 琵琶湖の風物詩」から転載

宿帳の写真説明
慶応元年5月9日。
江戸で新入隊士を募集し、京に戻る途中、歳三らはこの草津本陣で宿泊している。
今でも残る大福帳には、斎藤、伊東、藤堂の名前も見える。

宿帳記載内容
一 新選組
土方歳三
斎藤一
伊東甲子太郎
藤堂平助
右上下参拾弐人弐百五拾文
宛御払 外弐拾四文蝋燭
弐拾丁控

彼らは、総勢32人の団体で、歳三ら幹部四人がこの本陣に泊まり、残りの28人は外の宿に泊まったものと思われる。   以上 ウェブサイト「草津本陣」から引用」