その一角にある赤いレンガ造りの建物がそびえている。西本願寺の伝道院である。伝道院は明治45年(1912)、
中組(現在の竹中工務店)。創建当初は信徒向けの生命保険会社として利用されていたが、その後は銀行や事
色の建物である。
が、いろは丸沈没事件の際に多額の弁償金を龍馬に支払わされた恨みを持つ紀州藩であるとの話を聞き、紀
名がついた。 慶応3年12月7日(1868年1月1日)、海援隊・陸援隊士ら総勢16名(15名とも)が、三浦休太郎、新
氏は其許か」というなり斬りつけ、三浦休太郎は頬頤を負傷する。その後、両者は入り乱れるが、燈火を消し、暗
闇での戦闘となる。斎藤は後から斬りかかられ、命を落としそうになったが、梅戸勝之進(平隊士)が斎藤を守っ
ていた。 この事件で、襲撃側は中井庄五郎が死亡、2、3名が負傷した。一方の新選組は宮川信吉と舟津釜太
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