剣客」の五編の剣客ものが収録されています。
の描いた宮本武蔵は数少ない資料と司馬さんの想像力でもって、人間臭さの漂う人物として描かれています。
自分自身を剣の達人として高いプライドを持っていたがために、安い扶持で大名に使えることを拒絶し、一方で、
良い待遇で仕官したいとして全国各地を旅して回る武蔵の姿は、達人として悟りを開いた姿ではなく、かなり俗っ
ぽさを感じさせ、むしろ名誉欲に取り付かれた凡夫のような哀れささえも滲んできていて、才能を活かすことの難
しさを痛感させられます。 武蔵の強さは、「相手の実力を見切る」その優れた分析・感受能力にあったという著者
の見解ですが、自身の実力を見切って、世の中で能力を活かすことの出来なかった武蔵は、自身を見切ること
の難しさに思い至ります。
は、「剣術が、世の中にとって、一体どんな役に立つのか」という疑問が心に生じたことにより、剣術に対して見
切りを付け、最後は、剣術道場を閉じ、染物業で大成を成します。
「千葉周作」は江戸末期の剣豪で、合理的な指導法により、「他の道場で学べば5年かかるところ、周作の道場
であれば3年で学べる」とまで言わしめた人物です。
司馬さんは、世が世なら、千葉周作は、その論理的思考能力から自然科学者にでもなっていただろうと書いてい
ますが、まさにそんな感じがします。 「百人に教えれば百人とも、水準に達しうる法がないか」ということが千葉
周作の終生の目標でしたが、この目標を達したが故に、周作の剣術は、全国に広がっていき、現在でもその系
譜は脈々と受け継がれています。 天才にしか使うことのできなかった武蔵の剣術が、結局、凡人には受け継ぐ
ことができず、武蔵の開いた剣術の境地が消え去ってしまったのに対し、同じ天才的才能を有していた周作の剣
術が、広く後世に残ったのは、「合理的思考」により凡人にも伝えうる教授方法を編み出したことが大きいという
ことでしょう。
普段は温和ですが、剣で納得がいかないと豹変し、妻子を捨て数年旅に出るという奇矯な行動を取る森要蔵の
数奇な運命を描いています。
「越後の刀」は上杉家伝来の「一両筒」と呼ばれる名刀に関する逸話を描いた作品。 「一両筒」が、上杉家から
豊臣家に移り、秀頼の介錯刀として用いられ、その後、市中で行方不明となり、上杉家に戻ってくるまでの、名刀
の数奇な運命を描いています。
「奇妙な剣客」はポルトガルの剣術の名手が日本に渡り、日本の現地人とのトラブルに巻き込まれ、その腕で住
民を次々に倒しますが、駆けつけた日本の武士にあっさり斬られてしまうという、東西の剣豪対決をテーマにし
た作品です。