京・近江の写真 春夏秋冬

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愛読書37「関羽と劉邦」

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関羽劉邦」は楚漢戦争期を舞台に、鬼神のごとき武勇で秦を滅ぼした楚の項羽と、余人にない人柄で人々に

推戴され漢帝国を興した劉邦を描いています。「小説新潮」誌上で1977年1月号から1979年5月号まで連載され

ました。

司馬さんはこの作品で1970年代半ばより数度訪中取材し執筆されました。勇猛さでは不世出の武人といえる楚

項羽と、戦下手だがその人柄によって周囲を賢人に恵まれて最期には天下を手にした漢の劉邦。秦末の始

皇帝の死から書き起こし、2人の英雄を軸として数多の群像の興亡を語り、項羽の死を最後に筆を置いていま

す。

司馬さんは揚子江周辺で暮らしていた稲作集団である楚とは、黄河流域で形成された中国文明にとって最後の

異質文化を持った異分子であり、この楚人達が項羽によって率いられて大陸を席巻したことにより楚人の稲作と

湖沼の文化が投げ込まれ、このことが多民族多文化が混淆して成立した中国文明にとっての最後の総仕上げと

なり、「汎中国的なものへの最初の出発点」となったと評しています。

数百年に一度大規模な飢餓に襲われることが宿命であった中国の歴史においては英雄とは人々の食の保証が

できる者であり、そうした力のある者が自然に王や皇帝に推戴されて王朝を開き、その能力を喪失すれば新た

な王朝に倒されるのを常としてきました。司馬さんは、中国政治においては食を保証すること、少なくともそうした

姿勢を取ることが第一義として置かれたため、そのような状況が中国史に「ありあまるほどの政治哲学と政策論

を生産」させてきたと論じています。一方日本では中国のように国中が食を求める飢民で渦を巻くなどといった状

況はかつて起こったことがないために政治哲学・政策論の過剰な生産が起こらず、また英雄の概念も中国とは

異なるため「中国皇帝のような強大な権力が成立したことがないということについても、この基盤の相違の中か

らなにごとかを窺うことができそうである」と評しています。