「戦雲の夢」大きな器量を持ちながらも、乱世の動きに取り残された悲運の武将、長曾我部盛親を鮮やかに描い
◎わたしと「戦雲の夢」
「夏草の賦」の主人公土佐二十四万石の太守である長曾我部元親から家督を継いだ盛親。その直前に、豊臣
秀吉の死によって情勢は急変しています。豊臣家の対抗勢力として、徳川家はその勢力を成長させつつありま
した。しかし父元親はどちらにも味方する意を示さず、盛親への遺言もなくして生涯を閉じたのです。盛親それか
ら間もなく起きた関ヶ原の戦いに至るまで東軍、西軍への味方選択を誤り西軍についてしまいます。家康へ内通
する者が多く、戦いは家康方が勝利しました。西軍への加担と、その直前に起きた兄殺しを責められ、所領を没
収された盛親は京都で隠遁生活を送ります。十数年の隠遁生活の間に、将軍家となった徳川家と大坂の豊臣
家は対立、盛親にも大坂方からの参軍願いがあり盛親は応じます。遺臣たちと共に大坂城に入城した盛親は、
大坂の陣に悔い多かった生涯の全てを賭けるのでした。
大阪城に入場した盛親は翌年の夏の陣で戦死したとも、落ち延びた時に捕えられ刑死したとも伝わっています。
盛親の死によって長曾我部家は滅びましたが、その遺臣たちは土佐で生き延び郷士となって、新たに入部して
によって壊滅しますが、郷士たちが旧藩主長曾我部家の恨みを徳川家に対し果たしたともいえなくもありませ
ん。薩長土肥の大藩は幕末になって、いい意味、悪い意味でかかわりの深かった徳川家を倒す役割を演じたこ
とは、因果応報といいますか、歴史の奇妙さに改めて知らされるのではないでしょうか。