京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

萩 松下村塾

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前日夕方萩の旅館に到着。ゆったりと萩の夜を過ごし、翌日いよいよこの旅の最後のコース。萩の町を散策し

て、午後新幹線新山口の駅に向かい、帰郷する。旅の最後のコースというより萩の町の散策が今回の旅の大き

な目的であった。萩の町は今NHKで放映中の「花燃ゆ」の萩ブームで、観光客で賑わっていると聞いていたが、

この日はウイークデーでもあり、町の中の人影も少なく徒歩でゆっくりと散策できたのであった。

まず旅館の近くにある松陰神社松下村塾(しょうかそんじゅく)を訪ねた。松下村塾のそばにある大きな歌碑が

訪れる者を迎えてくれる。歌碑には、安政の大獄連座して江戸小伝馬町の獄に投ぜられた吉田松陰がいよい

よ処刑を覚悟し、安政6年(1859年)10月20日郷里の両親たちに書き送った便りの中にある永訣の一首「親思ふ

心にまさる 親心 けふのおとつれ 何ときくらん」 (意訳-子が親を思う心以上に、親の情は深い。今日のこの知

らせを聞いて親はどんな気持になるのだろう)が彫られている。塾の座敷の奥にはお馴染みの松陰像の掛け軸

とこの塾出身の明治維新の英傑たちの写真が飾られていた。

松下村塾は、江戸時代幕末に、長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)に存在した私塾である。吉田松陰

同塾で指導した短い時期の塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られ

る。松下村塾松陰神社の境内に幕末当時の塾舎が現存する。建物は木造瓦葺き平屋建ての小舎で、当初か

らあった八畳と、十畳半の部分からなっている。十畳半は塾生が増えて手狭になったため、後から塾生の中谷

正亮が設計し、松陰と塾生の共同作業で増築したものである。1889年(明治22年)、境二郎が往時の塾舎の保

存を提案、品川弥二郎山田顕義らが賛同して寄付金を募り、塾舎を屋根の漆喰塗りや壁の塗り直し等の若干

の補修を行ったうえで保存することとした。1922年(大正11年)10月12日、国の史跡に指定されたが、当時の山

口県の調査資料では、幕末の建物がそのまま保たれていたことが記載されている。管理団体は松陰神社であ

る。2009年(平成21年)1月5日に「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして世界遺産暫定リストに追加掲

載され、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として正式登録された。