京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

半月湖への道その1

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ニセコの町を抜けて国道5号線(別名羊蹄国道)を北に向かって半月湖を目指して走るが、半月湖へ右折する
 
路の案内を見過ごししばらく走っていると、左手に木造の小学校校舎のある懐かしい風景が目に飛び込んで
 
た。かつて比羅夫小学校といった廃校を利用した「体験センター冒険家族」という自然生活を体験できる施設で
 
ある。比羅夫(ひらふ)という地名は飛鳥時代の将軍阿倍比羅夫(あべのひらふ)に由来しているとされている。
 
日本最初の歴史書として8世紀に編纂された日本書紀には、越の国(北陸)の阿倍比羅夫が、7世紀半ばに大船
 
団を率いて北海道に3度ほどやってきて、異族との戦を交えたとある。異族とは、北方の漁労・海洋狩猟民オホ
 
ーツク人とも考えられているが、このとき阿倍が「後方羊蹄(しりべし)」に役所を設けたとの記述があるという。
 
その場所が実際にどこなのか、遺跡も見つからず、その後の文献にもあらわれないので、よくわかってはいな
 
い。北海道ではなく津軽ではないか、という異説もあるというがいずれにしても、「ひらふ」という地名はこの伝説
 
がもとになっているとされ、さら比羅夫と向き合う羊蹄山の旧名である「後方羊蹄山(しりべしやま)」も、この日本
 
書紀の一節から取られたという。時代は大きく下って1904(明治37年)、わが国最初のタービン式機関をもつ新鋭
 
船が、青函航路(青森と函館を結ぶ)の最初の連絡船 として就航した。船につけられた名前は、「比羅夫丸」。北
 
海道 にとって「比羅夫」という名前には、特別の意味があると言えるのかもしれない。
 
その施設にあるレストランで道をがてら、自家栽培の野菜を使った昼食をとることにした。木造の校舎の
 
囲気に懐かしさを覚え、ゆったりた時間の流れに身を浸しながら食事をした。裏の厨房からサッカーW杯ブ
 
ル大会の日本とコートジボワー対戦のテレビ中継の音声が流れていた。注文を聞きにきたオーナーらし
 
性が、今日本が逆転されたことえてくれた。興奮したアナウンサーの声とは裏腹に北海道の大地は眠
 
ように静まりかえっていた。