路の案内を見過ごししばらく走っていると、左手に木造の小学校校舎のある懐かしい風景が目に飛び込んでき
た。かつて比羅夫小学校といった廃校を利用した「体験センター冒険家族」という自然生活を体験できる施設で
ある。比羅夫(ひらふ)という地名は飛鳥時代の将軍阿倍比羅夫(あべのひらふ)に由来しているとされている。
団を率いて北海道に3度ほどやってきて、異族との戦を交えたとある。異族とは、北方の漁労・海洋狩猟民オホ
ーツク人とも考えられているが、このとき阿倍が「後方羊蹄(しりべし)」に役所を設けたとの記述があるという。
その場所が実際にどこなのか、遺跡も見つからず、その後の文献にもあらわれないので、よくわかってはいな
書紀の一節から取られたという。時代は大きく下って1904(明治37年)、わが国最初のタービン式機関をもつ新鋭
船が、青函航路(青森と函館を結ぶ)の最初の連絡船 として就航した。船につけられた名前は、「比羅夫丸」。北
海道 にとって「比羅夫」という名前には、特別の意味があると言えるのかもしれない。
その施設にあるレストランで道を聞きがてら、自家栽培の野菜を使った昼食をとることにした。木造の校舎の雰
囲気に懐かしさを覚え、ゆったりとした時間の流れに身を浸しながら食事をした。裏の厨房からサッカーW杯ブ
ラジル大会の日本とコートジボワール対戦のテレビ中継の音声が流れていた。注文を聞きにきたオーナーらし
き男性が、今日本が逆転されたことを教えてくれた。興奮したアナウンサーの声とは裏腹に北海道の大地は眠
るように静まりかえっていた。