御室桜は春の澄み切った青空と背景の五重の塔が一番よく似合う。
囲むように四本の天柱が塔を支え、その柱や壁面には真言八祖や仏をはじめ、菊花文様などが細部にまで描
ひ立ちて、ただひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極楽寺・高良(かうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りに
けり。
さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、
さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、
参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ほい)なれと思ひて、山
までは見ず」とぞ言ひける。
すこしのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり
すこしのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり
現代語訳
仁和寺(にんなじ)のある法師が、年をとるまで石清水を拝んだことがなかったので、それを残念に思って、ある
時、思い立って、ただひとり、徒歩で参詣した。ところが彼は、極楽寺や高良(こうら)社などを拝んで、これで願
ても、あの時に、参拝の人たちが皆、山に登って行きましたが、山の上に何事があったのか。気にはなったけれ
ど、神へ参るのが目的なのだと思って、私は山の上までは見物しませんでした」と言ったそうだ。
少しのことにも、案内者は持ちたいものである。
少しのことにも、案内者は持ちたいものである。
学校の古典でも読んだことのある懐かしい文章である。