坂上田村麻呂は平安初期の武人で、天性の才能に優れ、兵を用いるに神の如くであったと伝えられ、
桓武天
宮する交通の要衝であった。 当社の言い伝えによると、「
鈴鹿峠に悪鬼が出没して旅人を悩ましており、嵯峨天
皇は
坂上田村麻呂公に勅命を出してこれを平定させた」とある。 それゆえに、交通の障害を取り除いて土地を
土山の地に祀られることとなったという。
坂上田村麻呂が
鈴鹿峠の悪鬼を平定してよりのち、作物が実らず疫病
斎行された。 これにより、
坂上田村麻呂公は厄除の大神として崇敬され、その神徳は厄除の祖神として崇敬さ
間には東北に出征し、これを平定した。 その神威により、交通安全の神様としても崇敬されている。 武人の神
様であることから戦前軍人の参詣も多く、入口にある大きな碑の「
田村神社」名は帝国海軍元帥
東郷平八郎の
揮毫によるもの。毎年2月17日・18日・19日の3日間は 『田村まつり・厄除大祭』として多くの人々が参詣する。