京都市東山区南座の南、団栗橋から鴨川に沿って南北に続く宮川筋の二丁目から六丁目までの花街をいう。
出雲阿国の歌舞伎踊りの時代から始まり、最初は若衆歌舞伎の小屋と茶屋が立ち並び10代の少年が接待をし
ていたので「陰間」と呼ばれていた花街だった。その後形態が変わり宝暦年間、正式に認可された。明治、大正、
昭和33年3月15日の売春防止法施行までは遊廓であり、今でも遊廓時代の建物が残っている。京をどりは4月
野をどりとともに春の京都を彩る。多くの観光客が集まる祇園界隈と違って、ここ宮川町は繁華街から離れてい
ることもあり、静かでしっとりとしたたたずまいの京の町を見ることができる。