京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

初秋石塔寺その1

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石塔寺へ最初に行ったのは、ずいぶんの前のことだが、あの端正な白鳳の塔を見て、私ははじめて石の美しさ
 
を知った。朝鮮にも、似たような塔はあるが、味といい、姿といい、これは日本のものとしかいいようがなく、歴史
 
や風土が人間に及ぼす影響を今さらのように痛感した。
                                                 白州正子著『かくれ里』より
 
塔寺(いしどうじ)は、滋賀県東近江市にある天台宗寺院山号は阿育王山(あしょかおうざん)、本尊は
 
(しょう)観世音菩薩秘仏)。「石塔寺」の名のとおり、境内には、阿育王塔と呼ばれる石造三重塔を中心に、数
 
万基の石塔や石仏が並ぶ。毎年8月末には、「石塔フェスティバル(石塔寺万燈祭)」が開かれ、石塔と石仏に献
 
灯が行われる。近江西国三十三箇所音霊第二十二番札所。石塔寺聖徳太子創建の伝承をもつ寺院で
 
ある。石塔寺がある滋賀県湖東地区には他にも西国三十三箇所札所寺院の長命寺近江八幡市)、百済寺(ひ
 
ゃくさいじ東近江市)など、聖徳太子創建伝承をもつ寺院が多く、この地が早くから仏教文化の栄えた土地であ
 
るとともに、聖徳太子とも何らかのつながりのあったことを思わせる。石塔寺境内にある数万基の石塔群の中
 
で、ひときわ高くそびえる三重石塔については奈良時代前期(7世紀)頃に、朝鮮半島系の渡来人によって建立
 
されたとみるのが通説である。この石塔は、日本各地にある中世以前の石塔とは全く異なった様式をもつもので
 
あり、朝鮮半島の古代の石造物に類似している。湖東地区が渡来人と関係の深い土地であることは、『日本書
 
』に天智天皇8年(669年)、百済(当時すでに滅亡していた)からの渡来人700名余を近江国蒲生野(滋賀県
 
生郡あたり)へ移住させた旨の記述があることからも裏付けられ、石塔寺の三重石塔も百済系の渡来人によっ
 
て建立されたものであるとの見方が一般的である。
 
鎌倉時代には、三重石塔(伝・阿育王塔)の周りの境内に、五輪塔や石仏が多数奉納された。安土桃山時代
 
織田信長の焼き討ちにより、七堂伽藍、木造建築物、寺宝が全て焼失し、寺は荒廃した。その後、江戸時代
 
期、天海が弟子の行賢に指示し、一部復興されている。
 
受付で拝観料を支払う。右に本堂への入り口があり、左手に多数の石仏が鎮座する場所へと続く長い石段があ
 
る。まず本堂へのほうに向かうべく門をくぐった。本堂の鴨居に架けられた大きな数珠が印象的であった。