京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

八朔の日 祇園の風景その1

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いまやすっかり京の夏の観光風物詩となった81日の「祇園八朔の日」。八朔とは八月朔日(1日)を
 
す。農家では八月に新しく収穫した穀物をお供えすると言う意味があるが、祇園花街ではこの日、
 
日頃からお世話になっているお茶屋さんに「おめでとうさんどす」って言って挨拶回りをする昔からの
 
習慣がある。舞妓さんや芸妓さんは、黒紋付に白塗りの正装で、暑い中をまわる。挨拶や道中では、
 
人目があるので涼しげな表情をしているが、たまらなく暑いことだろう。挨拶回りは八朔の日の午前中
 
祇園一帯行われる。
 
その八朔の様子を写真に撮るため二年ぶりに猛暑の中を出掛けた。いつもは白川に架かった白川
 
橋で橋を渡ってくる芸妓・舞妓さんのスナップを撮ってから祇園の街中を移動するが、今回は片山家
 
能楽・京舞保存財団のある建物の前で撮ることにした。朝9時前に着くとすでに多くのカメラマンが建
 
物の前に陣取っていた。
 
片山家は江戸時代の明和期(17641772)より、京都における「能の家」として、不動の位置を占めて
 
日に至っている。観世流シテ方として、無形の文化財を守ってきただけでなく、能面や能装束と
 
いった有形の文化財も明和期以来250年近く保存してきている家柄である。平成8年に財団が設立さ
 
れ、能面や能装束を基本財産として登録し、財団により管理するようになった。また、当財団は能楽
 
だけでなく、井上流京舞の進展と交流も目的に掲げ、舞の衣裳や道具も所蔵し、稽古場も共有してい
 
る。財団の設立は、片山家に伝承される有形、無形の文化財を安全に後世に伝え、能楽および京舞
 
を通して京都における文化、芸術の振興に貢献している。平成2361京都府より公益財団法人
 
の認定を受け、「公益財団法人 片山家能楽京舞保存財団」と名称を変更。いわばこの場所は祇園
 
京舞を踊る多くの芸妓さんや舞妓さんたちにとって聖地みたいな場所であり、八朔の日はまずここ
 
に挨拶に上がるのある。京舞井上流は江戸期より伝わる上方舞を集大成し、これに能の仕舞を加
 
味して形成された独の舞であり、祇園甲部の正式唯一の流派である。「躍り」とは言わず「舞」とす
 
る点を見てもわかるように、極度に硬い描線と身体の緊張を核として簡素な動きのなかに豊富なイメ
 
ージを描き出そうとする舞であり、腰から上の身体技法によって感情を表すのが特徴的である。初代
 
井上八千代近衛家、一条家や仙洞御所づとめの折に能に示唆を得て貴顕の前に披露しても恥ず
 
かしくない舞踊を作ったという口伝をそのままに体現した舞踊であるという。現在ではむしろ京都祇園
 
甲部の芸妓舞子が習うお座敷舞や「都をどり」の流儀として知られるが、これは明治初期に京都博覧
 
会の余興として始まった「都をどりの振付けに井上流が採用されたのが直接のきっかけという。祇園
 
のお留流(祇園では他流派の舞踊は許されず、また祇園以外の場所で井上流の舞の教授は許され
 
ない)とされた際の約束により、女性のみで男子禁制の流儀としても知られる。
 
81日という京都でも一番暑い盛りであり、かつては7月17日の祇園祭が終わって816日の大文
 
の日まで猛暑の京は観光客に嫌われ、町中は閑散とした日々が続いていたが、近年観光業者の
 
キャンペーンもあり夏の京都観光が見直され、この時期に入洛する観光客が増加一途にある。特に
 
祇園観光客にとって関心の深い場所であり、さりとて気楽に立ち寄れる場所ではなかった。ところ
 
がこの八朔の日は祇園の芸妓さんや舞妓さんたちが身近で見ることが出来ることから、この日の祇
 
園町一帯は光客とアマチュアカメラマンで溢れかえる。かくいうこのわたしもその1人なのである。