ゆく。右手に清水小学校を見、小奇麗な旅荘の前を過ぎると右側に狭い路地の入り口が目に入る。路の両側に
石碑が建ち、右の碑に大漸寺(だいせんじ)、左の碑に實林山の彫られていた。路地の入り口に立ち、見晴るか
る。路地の中ほど左手に實林山大漸寺(日蓮宗)があり、その前を左手に向かって小さな橋がかかっていた。山
門からつながるその橋の上に立ってみた。墓地への渡り橋になっているのである。橋の名前を「霊山橋」といい、
橋の側の説明板に「この橋は霊山(りょうぜんはし)-旧極楽橋といい、およそ90年前の大正11(1922)年八月に
できた橋である。霊山浄土へ五歩で渡れる。どちらから渡っても彼岸(霊山浄土=迷いのない世界)に渡れると
いう。 渡る前「南無」と唱えて霊山へ 妙法蓮華(一歩二歩三歩四歩)五歩目の「経」(五歩)たり」と書いてある。
その通り唱えてみて橋を渡って「此岸」(しがん-現世)と彼岸を行ったり来たりしてみた。霊山橋の上から眺めた
八坂の塔は民家の後ろにあたりを圧するがごとく立ち、まるで舞台裏から眺めたような感があって、いつもオツに
の前を通って大和大路通りまで続く。
初夏の西日が照りつける八坂の塔の界隈である。