2011-02-20 節分下御霊神社 冬 #写真 堀川通り寺之内から市バスに乗って南下、堀川通り丸太町で丸太町通り東行きのバスに乗り換え、丸太町通り 寺町で下車。寺町通りを少し南下したしたところにある下御霊神社を訪れる。 下御霊神社 桓武天皇時代、各地で疫病が流行した。これは御霊の祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京の 神泉苑で御霊会が催された。この御霊会が当社および上御霊神社の創祀であるとしている。古来より京都御所 の産土神として崇敬された。享保年間に霊元天皇の霊を配祀した。 元は出雲路の上御霊神社の南にあったことから下御霊神社と呼ばれるようになったと伝えられる。後に新町出 水に移され、天正18年(1590年)秀吉の都市整備にともない現在地に遷座した。 御霊信仰(ごりょうしんこう)とは、人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を 遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄 を実現しようとする信仰のことをいう。 豆まき等節分の祭事は夕方から行われるということであり、車の通行量の多い寺町通りに面している割には境 内は深閑としていた。