かな人々の人波が通りの右手に見えてきた。釘抜地蔵である。
るということから苦抜(くぬき)地蔵と呼ばれ、それがなまって釘抜地蔵と呼ばれるようになった。
釘抜地蔵の伝説
「釘抜地蔵」のいわれについては、次のような伝説がある。室町時代の終わり頃、紀ノ国屋道林という商人がい
た。彼は両手に激しい痛みを感じていたが、どんな治療を施しても効き目がなかった。そこで霊験あらたかな石
みの原因は、前世において人をうらみ、呪いの人形(ひとがた)を作ってその手に八寸釘を打ち込んだことにあ
る」と告げ、呪いの人形から抜き取った八寸釘を道林に示して見せた。道林が夢から覚めると、両手の痛みはす
っかり消えていた。そして、石像寺に参詣すると、本尊地蔵菩薩の前には血に染まった2本の八寸釘が置かれて
いたという。
ントがあるほか、本堂の外壁には苦しみから解放された人々が奉納した、実物の八寸釘と釘抜きを貼り付けた
絵馬が多数貼られている。これらは前述の釘抜地蔵の伝説に関係するものである。
節分のこの日、病気や怪我で身体の痛みに悩む人々や痛みが無くなって全快のお礼参りの人々で狭い境内は
混雑して終日線香の煙が絶えることはなかった。