りとも称し、平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば葵祭のことをさすほど有名であった。
この祭の特徴は、平安時代以来、国家的な行事として行われてきたので、わが国の祭のなかでも、数少ない王
朝風俗の伝統が残されているということである。
殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになっ
てからこの名てせ呼ばれるようになったという。
祭文を奏上し御幣物を奉納する。さらに平安調を偲ばせるみやびな雰囲気のなかで、神馬の引き回し、舞人に
よる「あずまあそび」の舞が奉納される。
ただこの儀は一般の人は見ることは出来ない。行列が社殿に入っていく様子を鳥居のところから遠く眺めるだけ
である。平安貴族そのままの姿の人々が境内に入ると行列を守る検非違使たちが楼門の門を閉じて、楼門の前
に座り、社頭の儀が無事終わるように警備する。
頭の儀という)は終了する。