新井の千枚田からほど遠くない水田地帯で二人の老婆が立ち話をしていた。海をバックにしたそこの水田
地帯の幾何学模様が美しく、車を停めるのに地の人であるその老婆達に声をかけたのがきっかけですこし
立ち話をするはめになった。帽子を被った老婆が数十枚の棚田を持つ農家に嫁いてきた人である。顔中に
笑いを埋め尽くして丹後半島の先端で暮らす二人の老婆はよく喋り、屈託のない、気のいい顔をしてい
た。聞けばこの十数年丹後半島から出たことがないという。他所に関心を向ける必要がないほどこの場所
が住みやすくて、この世の楽園ということだろう。写真を写していいですかとカメラを向けると恥ずかし
そうにやんわりと拒否するような仕草を見せたが、その笑い顔は決して拒絶するものではなく、写すので
あれば綺麗に撮ってね、という女性の表情であった。
ここから見る水田は広く伸びやかであった。先ほどの棚田とはまた違った美しさである。やはり農業を経
済性や効率性の観点から考えてみたら、このような平地での農業しか残っていかないということであろう
か。ポケットに入っていた飴玉をその老婆達にプレゼントしたら、くしゃくしゃの顔をまた一段と崩して
大事そうに受け取ってくれたことに、なにか長年忘れていたものを思い出したような感触に思わず鼻の奥
が痛くなるのであった。