明治の世、日本で始めて電車が開通したのはここ京都で、京都市民はチンチン電車と呼んだ。京都駅から
この堀川道りに入って堀川の東側を沿ってチンチン電車は北上した。このチンチン電車が走る路線は昭和
37年頃に廃止となったが、それまでは北野天満宮までのこの路線は西洞院線(にしのとういんせん)と呼ば
れ、このチンチン電車が走っていた。
愛知県犬山市の明治村ではこの電車はまだ走っているが、運転席は前の風防を除いては吹きさらしで、電
車前面の下には防御ネットが付いていて人が前にいるとネットで救い上げるようになっていた。当時市民
が電車をもの珍しがって平気で電車の前に立ち、人身事故が多発したことから小僧(電車告知人といい袢
纏を着ていた)が電車の前を、夜なら提灯を振って先駆けして注意を呼びかける一方、このネットが考案
されたという。
かくいう小生は高校時代数年この電車に乗って通学した。電車が走り出してもデッキに飛び乗るといった
経験は何度もあり、いってみれば良き時代であった。写真のアーチ型の石橋は中立売橋(なかだちゅうり
ばし)といい、北上してきたチンチン電車はこの橋の南側に架けられた鉄橋を渡って大きく左にカーブし
て、堀川通りを渡って中立売通りを西に向かって走ってゆく。運転手が運転席足元のボタンを踏むとチン
チンと鐘が鳴ることから、明治、文明開化の時代このチンチンという音は京都市民にとって西洋文明への
憧れと羨望の象徴であったに違いない。
チンチン電車の写真 1枚目 堀川中立売鉄橋を渡るチンチン電車
2枚目 まだ水が結構流れていた堀川の横を北上するチンチン電車
(写真 ホームページ ふれあいの街きたの 電車ギャラリーから)