京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

愛読書21 「人斬り以蔵」

イメージ 1

「人斬り以蔵」は昭和39年3月「別冊文芸春秋」に掲載された中篇小説です。薩摩の田中新兵衛、肥後の

河上彦斎とともに「人斬り」の異名をとった土佐の岡田以蔵の生涯を描いたものです。

◎わたしと「人斬り以蔵」

この小説はかって「人斬り」という題名で映画化され、岡田以蔵勝新太郎が好演したのを今でも強烈に

覚えています。岡田以蔵は土佐の足軽の出身です。この足軽の出身者が幕末維新の歴史に名前を残したの

土佐藩という特異な藩の存在があったからです。

司馬さんは小説の冒頭、次のように土佐藩の特異性を書いています。


足軽、といえども藩士である。苗字帯刀の身で、外形は侍は侍だが、土佐藩では、足軽には公式には苗字

を名乗らせなかつた。

土佐藩というのは、種族的にいえば上士、郷士足軽とにわかれる。足軽は雨がふってもはだしで高下駄

がはけない。郷士は酷暑のころでも日傘がさせない。しかも上士たるや、郷士足軽に対しては「無礼討

差許(ぶれいうちさしゆるし)」という他藩にない異常な特権が与えられている。なぜなら上士は関ヶ原

役の直後、藩祖山内一豊とともに移駐してきた他国人で、郷士以下の土着人に対しそれだけの権能をあた

えねば治まりきれぬ伝統があった。この藩の郷士足軽が「土佐勤皇党」を結び、藩と幕府に対抗したの

も、他藩にはない一種の種族闘争に似た半面があった。                   

中略

足軽に剣術などは不要だ。

というのが、藩三百年の考えである。戦場では、長柄組、弓組、鉄砲組に属して歩卒の役目をするのだ。

馬上一騎打ちをするのは上士、高級郷士で、足軽ではない。

その以蔵が、勁烈すぎるほどの体力と気根をもってうまれたのが、かれ自身の人生を尋常でないものにし

た。

後略                                    「人斬り以蔵」から


足軽出身の以蔵はもとより剣術など習える身分ではなかったのですが、もって生まれた体力を生かして自

己流の殺人剣法をあみだし、土佐勤皇党の武市半平太に見出され「人斬り」として怖れられるほどの殺し

屋となって幕末の時代を生き抜きます。

明治維新薩長土肥を中心とした下級武士による革命ということが出来ます。しかし下級武士といっても

その身分といいますか、その位置づけは藩によって大きく違っていました。薩摩は下級武士といっても郷

中という組織の中で藩は武士として大切に育てました。西郷隆盛大久保利通もみな郷中の出身でした。

長州は若者を大切にするといった気風があり、とくに幕末の長州は身分をあまり重んじない藩風か濃厚に

ありました。その藩風が士農工商身分制度を否定した奇兵隊の設立につながったのです。たとえば伊藤

博文はその出身は長州藩領の百姓でしたが、桂小五郎にその才を見込まれます。が、桂小五郎は家来とし

てではなく同士として遇します。身分についてこのような考え方をもったのは天下広しといえども長州だ

けでした。葉隠れの武士道で知られる肥前は二重鎖国を取り続け富国強兵に努め、幕末ギリギリまで藩と

してその態度を鮮明にしなかった藩ですが、司法卿として明治政府の法体系を確立した江藤新平は下級武

士であり、かつ脱藩浪人でした。

明治政府が成立して維新に功のあった各藩の下級武士たちは政府の顕官となりました。しかし土佐出身の

武士で顕官となったのは、後藤象二郎板垣退助のような藩での上士たちだけであり、高級郷士である武

市半平太は切腹、下級郷士である坂本竜馬は暗殺されたほか、多くの郷士足軽たちが亡くなりました。

明治維新で亡くなったいわゆる勤皇の志士たちは土佐出身者が他藩に比べて際立って多かったといいま

す。

土佐藩という特異な藩の階級意識は藩祖山内一豊から幕末までの藩祖に脈々と受け継がれ、幕末の四賢候

の一人であり開明的な藩主山内容堂であっても身分制度については極めて保守的であり、また徳川幕府

大切に思う気持ちはどの藩の藩主よりも強かったと思います。山内容堂はこのままではいずれ幕藩体制

崩壊するであろうと予見する一方、薩長の倒幕運動から幕府を守らなければならないとの思い、また天下

の政に郷士足軽たちが己たちの身分を忘れて奔走する小ざかしさに憎悪さえ抱きました。執政吉田東洋

を暗殺した首謀者である武市半平太切腹させ、直接手を下した岡田以蔵は斬首されました。刑の執行の

仕方にも郷士足軽では異なるのです。以蔵は己の剣が上級武士より勝っているだけにつねに足軽出身だ

という身分に劣等感を捨てることが出来ず、武市半平太に尻尾をふる犬のようについて回り、半平太の意

向に沿って要人を暗殺するのも、すべてはこの劣等感から逃れるためでした。しかし土佐勤皇等の首領で

あった半平太でさえ身分階級から逃れることはできなかったのです。半平太は以蔵を番犬のように扱い、

暗殺に自分は手を汚さず、最後には以蔵を捨てます。やはり以蔵をさげすむ気持ちがあったのでしょう。

どうすることも出来ない身分制度の狭間で苦しみ、盲目的に殺し屋稼業に走った以蔵の生き方は、最後に

人間として目覚めることでこの小説は終わっています。