京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

山寺(立石寺)をゆくその5

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百丈岩を見上げながらさらに登ると案内板が目に入ってきた。「せみ塚」の案内板である。せみ塚は案内板によると「松尾芭蕉のおくのほそ道の紀行文に山形領に立石寺という山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地なり。一見すべきよし、人々の勧むるによりて、尾花沢よりとって返し、その間七里ばかりなり。日いまだ暮れず。麓の坊に宿借り置きて、山上の堂に登る。岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧り、土石老いて苔滑らかに、岩上の院々扉を閉ぢて物の音聞こえず。岸を巡り、岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂寞として心澄みゆくのみおぼゆ。「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」芭蕉翁の句をしたためた短冊をこの地に埋めて、石に塚をたてたもので、せみ塚と呼ばれている。」とある。松尾芭蕉が山寺立石寺を訪れたのは元禄2年(1689)7月13日(旧暦5月27日)、上記のように当初、山寺を訪れる予定がなかったと思われるが尾花沢での句会などで山寺の情報を得て急遽計画が練られたと思わる。早朝に尾花沢を出立した芭蕉一行は夕方に山寺に到着、宿坊に荷物を置くとそのまま参道を登り参拝している。夕刻だった為、参拝者や僧侶達も居らず、御堂も門が閉められている静けさの中、唯一蝉の声だけが境内に鳴り響く当時の時代でも別世界と思われる空間があり「奥の細道」の中でも傑作の1つである「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」が生まれている(当初は「山寺や 石にしみつく 蝉の声」と詠んだようであるが大石田で舟待ちをしている最中に「淋しさの 岩にしみ込 せみの声」「さびしさや 岩にしみ込 蝉のこゑ」などと何度も再考し最終的に「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」が完成したという。

せみ塚の右の方にあるのが弥陀洞といい、ながい歳月の雨風が直立した岩をけずり、阿弥陀如来の姿をつくり出した。1丈6尺(約4,8メートル)の姿から丈六の阿弥陀ともいい、仏のお姿に見ることができる人には、幸福がおとずれるという。

弥陀洞に手を合わせて最後の参道を登りきると仁王門が見えてきた。息を整えて仁王門への最後の石段に足をかけた。