「坂の上の雲」は昭和43年4月から昭和47年8月まで「サンケイ新聞」に連載されました。明治国家成立後
まだ間もない日本が大国ロシアとの戦争でいかに懸命に戦ったかを、明治の日本帝国陸海軍の創生期、陸
軍に初めて騎兵という戦闘集団を取り入れた秋山好古と、日本海海戦でロシアバルチック艦隊を撃破した
連合艦隊の参謀秋山真之という、二人の愛媛松山出身の兄弟、その親友であり日本の近代文学に大きな影
響を与えた正岡子規の三人の若者を通して描いた一大戦争叙事詩です。
◎私と坂の上の雲
私が人から司馬作品で何が一番お好きですかとたずねられれば、ためらいなく「坂の上の雲」を挙げる。
日露戦争は追いつめられた日本が弱者の知恵と勇気を振り絞った祖国防衛戦であり、日露戦争は大正時代
以降の韓国併合、シベリア出兵、日中戦争等の侵略行為とは全く異なるものだと司馬さんは明快に語って
います。
作品の第一部のあとがきで司馬さんはこんなことを書いています。
このながい物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である
やがてかれらは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく。最終的には、こ
のつまり百姓国家がもったこっけいなほどに楽天的な連中が、ヨーロッパにおけるもっともふるい大国の
一つと対決し、どのようにふるまったかを書こうとおもっている。楽天家たちは、そのような時代人とし
ての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやい
ているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼっていくであろう。
この文章には、明治時代の人々の懸命さ、ひたむきさ、いじらしさに対する司馬さんの好意と温かな愛情
が満ちあふれています。