立年代は不詳である。この地にあった
式内社「真幡寸神社」に、
神功皇后の
三韓征伐の際に船上に立てた旗に
祀され、城(
平安京)の南にあることから「城南神」と呼ばれた。中央を守護する「
平安神宮」、北の玄武「上賀茂
神社」、東の蒼龍「八坂神社」、西の白虎「
松尾大社」とともに南の朱雀として京の都を守ってきた。
白河天皇が
鳥羽
離宮(城南
離宮)を造営してからはその一部となり、代々の
天皇や
上皇の
行幸がしばしばあった。また後代
になると
京都御所の裏鬼門を守る神となったことから貴族の方違の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信
仰されるようになった。
応仁の乱などの戦乱で荒廃したが、江戸時代になって復興された。幕末の
文久3年(1863
城南宮では2月下旬に入る頃から、
神苑の「春の山」を中心に150本のしだれ梅が咲き誇る。そんな城南宮を
訪れた。