種子を商う「種屋」を創業。1872年(明治5年)、7代目山本久吉が京都の和菓子店「亀末」で修行を積み、栗饅頭
と最中を製造販売する和菓子店に商売替えし、屋号を「種屋末廣」とした(のち「種屋」に改称)。1921年(大正10
年)、東京「塩瀬総本家」で修行を積み宮内省大膳寮に2年奉職していた8代目山本脩次が種屋2代目を継承。
物資不足の太平洋戦争直後には栗饅頭が人気を博し、たねやの基本づくりとなった。1958年(昭和33年)8月に
に、1972年(昭和47年)8月に株式会社「たねや」を設立、1976年(昭和51年)6月に大津西武に百貨店初進出、
たすなど、滋賀県を代表する菓子メーカーに成長。1979年(昭和54年)7月の洋菓子部門株式会社「ボン・ハリ
エ」(1995年4月にクラブハリエに改称)設立以降、グループ会社化が進み、2006年(平成18年)にはグループ本
2006年には渋沢栄一賞を受賞している。