としてしゃもじを授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがある。室町時代中期の明応3年(1494年)
を配って信仰を広め、当社は中世から近世にかけて伊勢・熊野とともに庶民の参詣で賑わった。 「お伊勢参らば
お多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もあり、
る。 多賀社が隆盛したのは、近江国が交通の結節点だったことにもよる。
正月3日になると参拝客も多く、本殿への参拝にも長い行列が続いているが、みな清々しい表情で順番を待って
いた。