向こうの海に突き出た指月山がよく見える。指月山の麓に萩城があった。その風景を眺めるようにして吉田松陰
下川島に住んでいた。しかし、文化・文政の大火に遭い、文化13(1816)年、祖父・七兵衛が萩の東郊松本村に転
居。文政8(1825)年、萩城下江向の俳人・八谷聴雨の別荘(樹々亭)を、父・百合之助が買い求め、文政11(1828)
年に兄・梅太郎が生まれ、5年後の天保元(1830)年に松陰が誕生した。松陰は吉田家を継いだ後も両親とともに
誕生地に現存の建物は無いが、大正時代に設置した間取りを示す敷石が残っている。吉田松陰は朝な夕な萩
城とその後ろの指月山を眺めながら18才までこの場所で育ったのである。