京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

萩 吉田松陰の墓・誕生地その2

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吉田松陰らの墓所は山裾を少し上った高台にあり、墓石が並ぶ松並木を抜けるそこからは萩の町並みやその

向こうの海に突き出た指月山がよく見える。指月山の麓に萩城があった。その風景を眺めるようにして吉田松陰

と、共に米国への密航を企てた愛弟子の金子重輔銅像が建っていた。さらに歩を進めると山県有朋揮毫によ

る「吉田松陰先生誕生之地」と刻まれた大きな石碑があり、産湯に使われた井戸が残されていた。吉田松陰

天保元年(1830)この地で誕生した。杉家は代々毛利家に仕え、吉田松陰の曽祖父・文左衛門の時代から萩城

下川島に住んでいた。しかし、文化・文政の大火に遭い、文化13(1816)年、祖父・七兵衛が萩の東郊松本村に転

居。文政8(1825)年、萩城下江向の俳人・八谷聴雨の別荘(樹々亭)を、父・百合之助が買い求め、文政11(1828)

年に兄・梅太郎が生まれ、5年後の天保元(1830)年に松陰が誕生した。松陰は吉田家を継いだ後も両親とともに

この場所に住む。嘉永元(1848)年、一家は松本村清水口に移り、現在の松陰神社境内に生活を移した。現在、

誕生地に現存の建物は無いが、大正時代に設置した間取りを示す敷石が残っている。吉田松陰は朝な夕な萩

城とその後ろの指月山を眺めながら18才までこの場所で育ったのである。