京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

古都の秋本番その2


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明治の文豪,森鴎外の小説に「高瀬舟」という短編小説がある。

  高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親
 
  類が牢屋敷に呼び出されて、そこで暇乞いをすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大
 
  阪へ回されることであった。それを護送するのは、京都町奉行の配下にいる同心で、この同心は罪人の親類

  の中でおも立った一人を大阪まで同船させることを許す慣例であった。これは上に通った事ではないが、い
  
  わゆる大目にも見るのであった、黙許であった・・・

小説「高瀬舟」の書き出しの部分である。罪人は弟殺しの罪であったが、高瀬川を下ってゆく舟の中で同心が

罪人にいろいろ話を聞いてみると、病気の弟が兄にこれ以上迷惑をかけられないと自殺しようとしたが、死にき

れずに瀕死の状態でいるところへ兄が帰ってきて、苦しんでいる弟を楽にさせてやりたいと喉笛に刺さっていた

剃刀を抜いてやったことが弟殺しの罪になったという。いわゆる安楽死である。弟思いの兄のその話を暗澹とし

た心持で聞きながら川を下ってゆくという小説である。

高瀬川は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用

に開削された運河である。 開削から大正9年1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。

また高瀬川周辺は明治維新前後、佐久間象山大村益次郎が暗殺された場所であり、勤王の志士と新撰組

命のやり取りをした場所でもあり、また桂小五郎坂本竜馬が行きかった場所でもあった。