京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

八幡堀めぐりその1

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近江八幡の八幡堀には何度もきており、堀端から八幡堀めぐりの船を写真に収めてきたが、船に乗る機会はな
 
かなか得なかった。今回ようやく船に乗って八幡堀めぐりを体感できることとなり、今までとは違った視線からの
 
八幡堀の写真を撮ることとなった。八幡堀への入り口、すなわち日牟禮八幡宮への参道入口の正面に建ってい
 
る白雲館に展示されている八幡堀の変遷によると、八幡堀は天正13年(1585年)に豊臣秀次八幡山に城を築
 
き開町したことに始まる。秀次は八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、
 
物、情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけた。その後八幡堀(全長4,750m)は
 
交通路や生活の場として長らくその役目を果たしてきたが、生活形態が変わりだした昭和30年代もなると、八幡
 
堀は市民にとって忘れ去られた存在となり、やがて無用の長物から公害源となった。当時は高度成長時代であ
 
り、時代の波に近江八幡市としても乗り遅れることのないようにと、区画整理や工場誘致等の都市基盤整備に
 
躍起になっていた。加えて、琵琶湖総合開発による琵琶湖の水位低下や生活排水の質的変化により、その荒
 
廃は進む一方となった。 昭和40年になると、八幡堀に堆積したヘドロは1.8メートル、総量5万立方メートル、蚊
 
やハエの発生源や市民による不法投棄の場所と成り果て、地元自治会は衛生的観点から署名を添え駐車場や
 
公園等への改修要望を市に陳情。その陳情により近江八幡市青年会議所が中心となって市民運動が高ま
 
り、昭和50年9月に滋賀県は進みかけていた改修工事を中止。決定していた堀の埋め立て計画は白紙に戻され
 
た。その後近江八幡市の観光の中心とになり多くの観光客が訪れるようになり、映画のロケでも使われることも
 
多く、その認知度は全国的に広まることとなった。
   
     白雲橋から見た八幡堀  昔             今            
 
     明治橋から見た八幡堀  昔             今
                                        近江八幡観光物産協会のHPから転載