京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

襟裳岬その1

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前日苫小牧市のJR苫小牧駅から様似郡様似町の様似駅を結ぶJR日高本線国道236号線(浦河国道)が絡
 
むようにして並走し、その二つが交差した場所にある浦河市内のホテルに宿泊し、翌朝さらにその国道236号
 
(浦河からは国道336号線となって釧路まで続く)を東に向かった。えりも町国道336号線から岬に向かう道路
 
に入り襟裳岬に向かう。北海道を南北に横たわる日高孫脈の最南端で太平洋に向かって突き出した岬、襟裳岬
 
は北海道の形を大きく表徴する自然地形の一つであり、沖合い7 kmまで岩礁が連なる。岬の周囲は高さ60 mに
 
及ぶ断崖となっており、三段に及ぶ海岸段丘が発達している。眺望が開けており、日高山脈襟裳国定公の中
 
核を成す観光地となっている。風が強いことで知られる。風速が計測できる全国900以上の山岳を除くアメダス
 
地点で、年平均風速がもっとも大きいのが襟裳岬の観測地点である。1981-2010年の年平均風速は8.2 m/s。風
 
速10メートル以上の風の吹く日が年間290日以上あるという。だがこの日は穏やかな風が岬を吹き抜けていた。
 
展望台に立つと太平洋が眼下に大きく広がり、穏やかな波が遥か下の岩場に打ち寄せている。
 
襟裳岬は江戸時代後半から海の岩礁に生える昆布を求めて、人々の移住が始まった。明治になると開拓農民
 
も加わり、人々は強風と寒さに耐えながら、暖をとるなど生きるために森の木を切り続けた。明治中期には
 
材料として広葉樹がつぎつぎに切り倒され、ついに砂漠となり砂が飛んで生活に支障をきたしたほか、昆布が生
 
えなくなり、サケや回遊魚も来なくなった。つまり明治の森林伐採、放牧などにより実質砂漠化し、土砂で海が汚
 
染されたことにより海産物の漁獲量が激減したのである。
 
そのため林野庁1953年以降治山事業を開始。まず、草本の種子を蒔き、風を防ぐため海藻で覆うことにより
 
最終的に草本緑化を完了。その後、防風垣で覆った上でクロマツを中心とした植林が行われ、1999年度末で、
 
荒廃地面積のほぼ89%にあたる170ヘクタールの木本緑化を終了したという。