京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

野洲さくら緑地

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三上山の南を東西に流れる川岸にあるさくら緑地。川向こうに美しい稜線の近江富士、三上山を望むことができ
 
る美しい場所である。
 
三上山にはこんな伝説がある。今から千年も前の延喜十八年(918)、俵藤太(藤原秀郷)という武勇で名高い豪
 
傑が瀬田の唐橋を通らうとすると、橋の上に大蛇が寝そべっていた。藤太が大蛇をまたいで進まうとすると、大
 
蛇は訴へた。自分は琵琶湖に住む大蛇だが、三上山を七巻き半する大ムカデのために、一族が滅ぼされようと
 
していると。そこで藤太は、大蛇の巻き起こす水柱に乗って三上山へ飛んで行き、唾をつけた矢で百足を退治し
 
た。藤太はたくさん貰ったお礼の中にいつまでも米が出続ける米俵があった。藤太の「ムカデ退治」の後、近江
 
の国は平穏な日々が続き、三上山のあるこの野洲平野はおいしい米の産地になって栄えたという。もう一つ話
 
がある。これは伝説ではなく実際にあった話。三上山への登山口に「天保義民碑」というひが立っている。天保
 
13年(1842年)、代官の不正な検地に抗議するため、旧甲賀郡、旧野洲郡、旧栗太郡の総勢約4万人の農民が
 
いっせいに蜂起した。これが、歴史に有名な天保一揆である。検地を中止させ「十万日延期」の目的を達した。
 
ただし、一揆のリーダーの庄屋クラスの農民達の払った代償も大きく、このときの一揆で犠牲になった祖先の魂
 
をなぐさめ、その義挙を後世に伝えようと明治28年(1895年)に慰霊碑が立てられた。毎年10月15日には、遺徳
 
を讃える天保義民祭が行われているという。