石垣は出丸部分と乾御矢倉部分を残しほとんどが、当時近江鉄道の線路敷設に使用され、本丸御殿は一部を残
して撤去された。旧本丸は学校敷地となり、現水口高校の運動場として利用されている。
その後、水堀埋め立てなどの意見も出されたが、昭和47年(1972年)に将軍家宿館遺跡としての価値が評価さ
れ、滋賀県の史跡に指定されたのを契機に保存整備への関心が高まった。そして、石垣の遺構が残る出丸部分
を整備修復し、水口城資料館が平成3年(1991年)11月に開館した。この資料館は、同城御矢倉の往時の姿を模
したもので、木造2層2階建ての破風を凝らしたものである。
この日、もうすぐ晩秋を迎える水口城の白壁は秋日に映えて美しく輝いていた。