京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

ポピーとあやめ

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水口町貴生川を始発とする近江鉄道本線彦根を経て米原までつながっているがこの線路と東近江市八日市
 
を東西に伸びている国道421号線(八風街道)とが交差する踏み切りのそばにあやめとポピーが美しく咲いてい
 
る。踏み切りを車で渡ったとき気がついて、近くのスーパーに車を停めて踏み切りに行ってみた。
 
ポピーは雛罌粟・雛芥子(ひなげし)、虞美人草(ぐびじんそう)ともいい、開花時期は 4 5頃~  615頃で 
 
ロッパ原産という。江戸時代に渡来した。 「雛」は小さい、かわいいの意で、ケシの中では小型でかわいい花で
 
あることから。漢字の罌粟(けし)は漢名からで、実の形が罌(もたい。液体をいれる口のつぼんだ甕(かめ))に
 
似ていて、種子が粟(あわ)に似ているから。種子は非常に小さく、そこから「芥子粒(けしつぶ)」の言葉ができた
 
という。別名の虞美人草 は古代中国の話で 項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)の最期の戦いのとき、項羽は愛す
 
る虞妃(ぐき)と  ともに劉邦の大軍にまわりを包囲された。項羽は別れの宴を開いてから最後の出撃をし、虞妃
 
も自刃して殉じたが、彼女のお墓にヒナゲシの美しい花が咲いた。 そのため人々はこの花を 虞美人草という」
 
と呼んだという故事からきている。また夏目漱石の小説に 虞美人草 」という小説がある。漱石が新しい小説の
 
タイトル名を決めあぐねていたときに、街角の花屋で見た「虞美人草」の名に ”おっ、いい名前 これにしようとい
 
うことで 名づけたということらしい。また渡辺淳一の小説で与謝野晶子を描いた小説があるが、その題名は「君
 
も雛罌粟われも雛罌粟」 という。 「ああ皐月  仏蘭西の野は火の色す  君も雛罌粟  われも雛罌粟」 という 
 
謝野晶子の歌からきている。
 
あやめとしょうぶはどちらも漢字で書くと「菖蒲」。だが漢字は同じでも菖蒲(アヤメ)と菖蒲(ショウブ)は別物。
 
菖蒲(ショウブ)と菖蒲園などで見る花菖蒲(ハナショウブ)も別物。だからアヤメとショウブとハナショウブは別物
 
である。それに「いずれがあやめ、かきつばた」の杜若(カキツバタ)が加わって区別がよく分からない。その区別
 
方法に咲く場所と時期で見分けるというのがある。
 
あやめは畑のような乾燥地で栽培するのに適し、かきつばたは水辺などの湿地帯に適し、花菖蒲はその中間で
 
畑地でも湿地でも栽培できるというのが簡単な違いである。 水辺で咲いているのは杜若か花菖蒲。あやめで
 
はない。 乾いた畑で咲いているのはあやめか花菖蒲。杜若ではない。したがって線路の側は乾燥地だからあ
 
やめか花菖蒲となる。次に咲く時期であるがあやめが5月中旬~下旬で、花菖蒲は5月下旬~6月下旬であるこ
 
とから、5月中旬に咲いているこの線路の側の花は「あやめ」ということになる。
 
すぐ側を通り過ぎる電車の風圧に耐えて揺れるポピーとあやめを撮りたかったが、電車の本数が少なく、10
 
 ど待ったが時間も無く諦めた次第である。時間を惜しんではいい写真は撮れないと分かっているのが・・・・・