京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

竜飛崎へその1

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 いよいよわたしどもの旅も最終地に向かった。竜飛崎である。三内丸山遺跡から70キロ強、二時間あまりのドライブで、津軽半島の国道280号線を北上する。右手の車窓には陸奥湾が広がっていた。
竜飛崎は、青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩龍浜にある、津軽半島の最北端、津軽海峡に突き出た岬である。龍飛崎と表記することもある。津軽国定公園の一部である。
かつて北海道の函館港と青森県の青森港は津軽海峡を渡る青函連絡船で繋がっていた。
青函連絡船ー1908年(明治41年)から1988年(昭和63年)までの間、東北本線(現在の青い森鉄道)及び奥羽本線の終点である青森駅と、津軽海峡を隔てた北海道、函館本線の起点である函館駅とを結んでいた鉄道連絡船。鉄道国有化直後の国鉄により開設され、国鉄分割民営化後、間もなく開業した青函トンネルにその役割を譲って終航した。
岬の展望台には演歌歌手石川さゆりのヒット曲「津軽海峡冬景色」の歌碑があり、歌碑からはあの懐かしい曲が流れていた。メロディーと歌詞は北海道に帰る失恋に疲れた女性の切ない心情に、冬の津軽海峡をオーバーラップさせた名曲であるが、この日の歌碑の背景には津軽海峡が明るく輝く夏の風景の中に広がっていた。
青函連絡船というと過去の悲しい事故を思い出さざるを得ない。洞爺丸の海難事故である。1954年(昭和29年)9月26日に青函航路で台風第15号により起こった、日本国有鉄道国鉄)の青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故である。死者・行方不明者あわせて1155人に及ぶ、日本海難史上最大の惨事となった。 そんな悲しい海峡の過去も今は、夏の明るさが包み込んでいた。