京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧

7月17日山鉾巡行 動く美術館その3

霰天神山 山伏山 蟷螂山 白楽天山 郭巨山 保昌山 霰天神山 錦小路通室町西入にあるので「錦天神山」または「火除天神山」ともいわれる。永正年間(1504~152 0)京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまちに消えたが、そのとき一寸二分(約3.6…

7月17日山鉾巡行 動く美術館その2

四条傘鉾 油天神山 木賊山 綾傘鉾 四条傘鉾 四条傘鉾は、織物の垂りなどをつけた傘と棒ふりばやしが巡行する古い鉾の形態である傘鉾の一つ で、応仁の乱以前に起源をもち、傘の上には御幣と若松を飾る。明治4年に巡行に加わって以降と絶えていたこ の四条傘…

7月17日山鉾巡行 動く美術館その1

占出山 孟宗山 伯牙山 芦刈山 7月17日の山鉾巡行には8基の鉾と15基の山が参加する。今まで鉾を紹介してきたが次に山を紹介しょう。 占出山 「鮎釣山」ともいう。神功皇后が肥前国松浦で鮎を釣って戦勝の兆としたという説話による。御神体(人 形)は金の烏帽…

7月17日山鉾巡行 放下鉾の辻回し

船鉾の次に姿を見せたのが最後の放下鉾、山鉾巡行の最後の辻回しを力強く、そして華麗に見せる・・・

7月17日山鉾巡行 船鉾の辻回し

船鉾 神功皇后をめぐる説話によって鉾全体を船の型にし、舳先には金色の鷁、艫には黒漆塗螺鈿の飛龍文 様の舵をつけ、船端には朱漆塗の高欄をめぐらし、唐破風入母屋造りの屋根からは紅白の長旒・吹流しをひる がえす。 船鉾はくじ取らずといって巡行の最後…

7月17日山鉾巡行 岩戸山の辻回し

岩戸山 天岩戸を開いて天照大神の出現される日本神話から取材している。山とはいえ室町時代狩野永徳の 洛中洛外図屏風で見られる岩戸山にはすでに車輪が描かれており鉾と同じ車をつけた曳山である。曳山で、鉾 柱(真木)のかわりに屋上に真松を立てている。…

7月17日山鉾巡行 菊水鉾の辻回し

菊水鉾は他の鉾と違って菊水鉾は唐破風屋根を持つ鉾で、音頭取も袴を着用し烏帽子を被る雅な鉾である。 他の音頭取りの持つ扇子と違って、菊水鉾は紅葉の形の団扇を使用する。

7月17日山鉾巡行 鶏鉾の辻回し

鶏鉾の辻回し 音頭取りの涼やかな浴衣と赤い陣笠を被った曳き方たちが印象的だ。

7月17日山鉾巡行 月鉾の辻回し

月鉾の辻回し・・・

7月17日山鉾巡行 菊水鉾の辻回し

菊水鉾は他の鉾と違って菊水鉾は唐破風屋根を持つ鉾で、音頭取も袴を着用し烏帽子を被る雅な鉾である。 他の音頭取りの持つ扇子と違って、菊水鉾は紅葉の形の団扇を使用する。

7月17日山鉾巡行 函谷鉾辻回しその2

函谷鉾も割れるような拍手の中、無事に辻回しを終え、新町通りへと進んでゆく。

7月17日山鉾巡行 函谷鉾辻回しその1

続いて函谷鉾の辻回し・・・

7月17日山鉾巡行 長刀鉾辻回しその3

長刀鉾が新町通りへの方向転換を終え、車方たちは役目の終わった竹束を鉾の下に素早く片付けると、長刀鉾 は新町通りへの南下を開始。辻回しが終わっても、車方たちには動いている車輪の間に身を入れて、テコで鉾 の方向を調整してゆく危険な作業が続く・・・

7月17日山鉾巡行 長刀鉾辻回しその2

迫力が伝わってくる辻回しの連続写真・・・

7月17日山鉾巡行 長刀鉾辻回しその1

辻回しとは鉾の方向転換をいう。長刀鉾は稚児を降ろし一息いれてから御池通り新町を左折して狭い新町通り を南下する。割り竹を車輪の下に敷きつめ水を撒いて車輪を滑りやすくして、一気に車輪を横滑りさせ鉾を左折 する。鉾の前に立って音頭をとる音頭取り…

7月17日山鉾巡行 長刀鉾その3

強力の肩に担がれた稚児が正面を向いて凛とした表情を見せると周りから歓声と拍手が沸き起こった。そして 階段を降り、緋傘が差しかけられると一段と拍手が響く。 祇園祭は7/1の吉符入(きっぷい)り(神事始め)に始まり、1ヶ月間に渡り繰り広げられる。一…

7月17日山鉾巡行 長刀鉾その2

長刀鉾が所定の場所に停車すると、正面に梯子が架けられ、稚児の両側に従った二人の「禿」(かむろ。家来 役)が鉾から降りると、次に稚児が屈強の強力の肩に担がれて降りてくる。高い鉾の上で強力の肩に担がれる 様子はスリルがあり、人々は固唾を吞んで見…

7月17日山鉾巡行 長刀鉾その1

山鉾巡行当日、御池烏丸の西、新町の角で朝八時から場所を陣取り、先頭の長刀鉾を待つことにした。ちょうど 長刀鉾から稚児が降りる場所がよく見える場所である。11時過ぎ御池通りの東方から威風堂々の長刀鉾がその 姿を見せた。祇園囃子の音色が大きく聞こ…

7月14日宵々々山の町中風景

宵々々山、西日に輝く町中風景・・・

7月14日宵々々山 函谷鉾お囃子風景

各鉾町を回って函谷鉾のもとに戻ってきたらお囃子の準備が始まっていた。しばらくするとお囃子が始まった。 笛、太鼓、鉦の優雅なお囃子の音色があたりを包む。見物客たちも足を止めてお囃子に聴き入っていた。

7月14日宵々々山 船鉾

神功皇后をめぐる説話によって鉾全体を船の型にし、舳先には金色の鷁、艫には黒漆塗螺鈿の飛龍文様の舵 をつけ、船端には朱漆塗の高欄をめぐらし、唐破風入母屋造りの屋根からは紅白の長旒・吹流しをひるがえす。

7月14日宵々々山 山伏山・伯牙山

写真上4枚山伏山、下4枚伯牙山。 山伏山 山に飾るご神体が、山伏の姿をしていることから山伏山と呼ばれる。昔、八坂の塔が傾いたとき法力に よってそれをなおしたという浄蔵貴所の大峯入りの姿をあらわしている。 伯牙山 琴の名人であった伯牙が手に斧を持ち…

7月14日宵々々山 放下鉾

陽が西に傾く頃になると和服姿の女性も目立ち始める・・・

7月14日宵々々山 月鉾

西日を受けた月鉾の提灯が輝く・・・

7月14日宵々々山 占出山・霰天神山

上写真4枚占出山 下写真4枚霰天神山 占出山 「鮎釣山」ともいう。神功皇后が肥前国松浦で鮎を釣って戦勝の兆としたという説話による。水引は三十 六歌仙図の刺繍。前懸・胴懸は日本三景の綴錦で天保2年(1831)の制作で山の傍の町屋で展示されている。 霰天…

7月14日宵々々山 菊水鉾

恥ずかしそうに提灯に大きな身を隠す菊水鉾・・・

7月14日宵々々山 函谷鉾

函谷鉾は天明の大火(1788)に焼失、50年後の天保10年(1839)に町在住の先人達の大変な努力の積み重ねに より、今の函谷鉾が復元されたという。

7月14日宵々々山 長刀鉾

山鉾の巡行日の三日前を宵々々山という。二日前を宵々山、前日を宵山という。毎年人混みを避けて宵々々山 に出掛けてくる。特に今年は三連休の前だからきっと夜は人混みに溢れかえるに違いない。11日の鉾建ての日 骨組みばかりだった鉾も周囲を胴掛で飾り立…

7月11日鉾建て 鶏鉾

室町通り四条下がる鶏鉾町にある鶏鉾。中国・堯(ぎょう)の時代、天下がよく治まっていたため使われなくなっ た訴訟用の太鼓に、鶏が巣を作ったという故事に由来する。真木に巻いた縄の造形が美しい。

7月11日鉾建て 放下鉾

月鉾からさらに西に行って新町通りを北に向かうとあるのが放下鉾。鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放 下僧の像を祀るのに由来する。最後の写真は「石持」といい、ひび割れを避けるため鉄枠が撒かれている。鉾に より松材や欅材、桜材が使われている。…