京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

松ヶ崎涌泉寺の題目踊その1

暗い住宅地の夜道を通りすがりの人に道を聞きながら上りの道を歩いてゆくと、明るい電灯に照らし出された本 堂が木陰から見えてきた。題目踊の行われる涌泉寺である。本堂に近づくと中では「妙法」の図柄を染め込んだ 浴衣を着た人々が題目踊の開始時間を待…

松ヶ崎「妙法」の「法」の送り火

毎年8月16日に京の夏の夜空を焦がす京都五山の送り火。この送り火は東山如意ケ嶽の「大文字」がもっともよ く知られているが、そのほかに金閣寺附近の大北山(大文字山)の「左大文字」、西賀茂船山の「船形」および上 嵯峨仙翁寺山(万灯籠山・曼荼羅山)…

大文字送り火の日の祇園町

墓参りを終えて近くの円山公園の中にあるレストランで食事を摂る。そのあと三条京阪まで歩いて地下鉄で出町 柳まで行き、松ヶ崎の「妙法」の大文字を見るため、叡山電鉄で修学院駅までゆくのである。三条京阪まで行く途 中祇園町を抜けてゆく。大文字焼きの…

大文字送り火の日の鴨川と東山大谷祖廟

涼を求めて人々は鴨川の土手に集まる。京の風物詩である納涼床にも灯が入り、大文字焼きの刻限が近づい てゆく。この納涼床からでも場所によっては大文字を見ることが出来る。四条大橋を渡って八坂神社の境内を抜 け東山の大谷祖廟に墓参りに向かう。日中の…

大文字送り火の日の天竜寺その2

天龍寺入口近くにある蓮池。ゆく夏を惜しんで懸命に咲いていた・・・

大文字送り火の日の天竜寺その1

法輪寺から渡月橋を渡り天竜寺に向かう。 天龍寺ー臨済宗天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山(れいぎざん)。寺号は詳しくは天龍資聖禅寺(てんりゅ うしせいぜんじ)と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石であ…

大文字送り火の日の法輪寺その2

法輪寺境内の展望台から眺めた渡月橋と嵐山の風景・・・

大文字送り火の日の法輪寺その1

渡月橋を渡って少し左手に道を進むと法輪寺がある。十三詣りが有名で特に京都の人間にとっては馴染みの深 い寺である。私も十三詣りで来たことがあるし娘の時もお詣りした寺である。 法輪寺、山号は智福山。宗派は真言宗五智教団に属する。虚空蔵法輪寺や嵯…

大文字送り火の日の嵐山を訪ねてその6

再びと渡月橋へ戻ってくる。社殿が渡月橋の南橋詰近くに鎮座する櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ) は縁結びに御利益があるとして若い女性に人気がある。櫟谷社と宗像社はそれぞれ「松尾七社」の一社に数え られ、特に櫟谷社は松尾社・月読社ととも…

大文字送り火の日の嵐山を訪ねてその5

大堰川の南側の川岸をしばらく上流に向かって歩いてみる。南側は山が迫ってきているため、向こう岸のような 開けた明るさはないが、青々とした紅葉が夏の太陽を遮ってくれる。秋になるとこれらの紅葉が一斉に真赤に染 まって嵐山全山が燃えるような嵐山独特…

大文字送り火の日の嵐山を訪ねてその4

少し上流で客を降ろした保津川下りの船とボートがニアミスで行き合う大堰川。船頭がうまくボートをかわしてゆ く。その様子を眺めていると子供の頃姉に乗せてもらったボートがこの保津川下りの船にぶつかった思い出が甦 る。ぶつかったというよりボートの舳…

大文字送り火の日の嵐山を訪ねてその3

渡月橋を渡り、中ノ島公園と桂川右岸(南側)の間に架かる短い橋、渡月小橋を渡る。この一帯は2014年8月10 日台風11号の影響で一時水位が堤防を越え、川沿いの道路が濁流に覆われた場所である。 大堰川(京都の西方、亀山の山峡を流れ出てきた保津川のこのあた…

大文字送り火の日の嵐山を訪ねてその2

人混みと人力車を縫って駅前から左方向の渡月橋に向かう。渡月橋は嵐山観光の象徴的な観光名所である。 同橋は承和年間(834年 - 848年)に僧、道昌が架橋したのが始まりとされ、現在の位置には後年に角倉了以が 架けたとされる。亀山上皇が、橋の上空を移動…

大文字送り火の日の嵐山を訪ねてその1

大文字送り火の日の京都、例年暑さを避けて夕方から東山大谷本廟へ墓参りをして、そのあと京都御所で大文 字の送り火を鑑賞しているが、今年は妻の提案で京都の北、松ヶ崎の「妙法」の送り火の鑑賞とその近くにある 湧泉寺で古くから行われている「題目踊り…

烏丸半島 蓮自生地の夏その3

古名「はちす」は、花托の形状を蜂の巣に見立てたとするのを通説とする。「はす」はその転訛。 水芙蓉(すいふ よう、みずふよう)、もしくは単に芙蓉(ふよう)、不語仙(ふごせん)、池見草(いけみぐさ)、水の花などの異称をも つ。ハスの花と睡蓮を指し…

烏丸半島 蓮自生地の夏その2

今年の夏は異常高温気候が原因で、蓮やユリ、百日紅、芙蓉等夏に咲く花の開花が今一という。ここ烏丸半島 の蓮も一面に咲き誇るというところまではいっていないが、咲く花が少ないだけに返って蓮の花言葉である「神 聖」「清らかな心」にぴったりの雰囲気が…

烏丸半島 蓮自生地の夏その1

琵琶湖湖南烏丸半島の蓮自生地にも夏の華やぎがやってきた・・・ 「15祇園祭」と「15祇園八朔の日」の次に、この夏のページで烏丸半島の蓮を掲載したら、昨年9月に掲載した 「静寂の晩夏 琵琶湖烏丸半島」の次に掲載することになってしまった。一年越しの晩…

後祭 山鉾巡行エピローグ

花傘巡行の進行方向を逆行して南下して四条通りに出ると、折しも山鉾巡行の最後尾をゆく大船鉾に遭遇した から、そのまま大船鉾についてゆくことにした。わたしと同様後祭の山鉾巡行の最後を惜しむ人々がぞろぞろと 後をついてゆく。四条通りを西に進み、船…

後祭 花傘巡行その3

先斗町、祇園東の芸妓さんたち、可愛い鷺踊りの子供たち、そして万灯踊りの子供たちが続く・・・

後祭 花傘巡行その2

祇園囃子のお囃子に続いて、織商のミス着物たち、そして祇園甲部、宮川町の粋な芸妓さんたちが続く・・・

後祭 花傘巡行その1

後祭が前祭に統合されてから、後祭の日に始まった花傘巡行は後祭の山鉾巡行が復活した昨年からも引き続 き行われている。後祭のくじ改めの様子を見てから、御池通りから寺町通りを南に向かって歩いてゆくと、花傘 巡行の先頭に行きあたった。花傘巡行は八坂…

後祭 山鉾巡行その8

街路樹が夏の強い陽射しを和らげる御池通りに入った大船鉾はゆっくりと東に向かう。巡行に参加する山鉾は 京都市役所の近くに設けられた「くじ改め処」の前で止まる。くじ改めとは巡行の順番がくじ取り式で決まった順 番であるか奉行(京都市長)の確認を受…

祇園八朔の日の風景その6

芸妓や舞妓さんたちの絽の黒紋付きという正装姿は暑い夏を忘れさせてくれる・・・

祇園八朔の日の風景その5

凛とした八朔の日の芸妓や舞妓さんたち・・・

後祭 山鉾巡行その7

次にやってきた大船鉾の辻回し。初めて経験した昨年の辻回しに比べ、今年の辻回しはスムーズに作業が進み 周囲から拍手喝采を浴びていた。

祇園八朔の日の風景その4

かつて八朔の日は芸妓や舞妓さんたちの色とりどりの和日傘が華やかな花が咲いたように東に西にと移動する 光景があたりまえだった。だが今年に限っていえば日傘を差す芸妓や舞妓さんの姿はほとんどなかった。置屋 の女将さんたちはさすがに日傘を差していた…

後祭 山鉾巡行その6

後祭の山鉾巡行は前祭の巡行とは正反対の時計回りに巡行する。すなわち前祭のとき、長刀鉾は雨の中を御 池通りから新町通りに左折したが、今日はその新町通りをやってきた山は御池通りに右折するのである。 巡行について行く人々をかき分けながら御池通りま…

祇園八朔の日の風景その3

毎年のことながら8月1日の八朔の日(芸妓さんや舞妓さんが芸事の師匠やお茶屋にあいさつに回る盛夏の恒 例行事)は大勢の観光客や見物客、そして写真愛好家が祇園を訪れる。特に今年は土曜日だったから例年にも 増して祇園の町並みに人波が津波のように押し…

後祭 山鉾巡行その5

南観音山に続いてゆっくりとやってきたのが大船鉾である。巡行に復帰した大船鉾は現在、「白木の鉾」である が、風雨に晒される白木の屋根、六本柱、勾欄の各部については、この先何百年にもわたって使用するにあた り、できるだけ早い時期に漆塗りを施す必…

祇園八朔の日の風景その2

八朔の日の祇園白川、たつみ橋あたりの風景・・・