京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

彼岸の東山界隈その2

彼岸の日の下河原(八坂神社南楼門前)あたり・・・

彼岸の東山界隈その1

残暑が厳しくても、ようやく秋の気配がここ、京都東山界隈にもやってきた・・・

晩夏西の湖

豊穣の地、湖東に横たわる西の湖。ゆっくりと時が刻まれ、人々にさまさ゜まな思いを残して平成24年の夏は去 ってゆく・・・

安土町の田園風景

安土町付近の田園風景・・・稲刈りが終わってロール状にした稲わらが西に傾いた晩夏の日差しに輝いていた。

活津彦根神社(近江八幡市安土町下豊浦)

新宮大社の少し北にある神社である活津彦根神社(イクツヒコネ) 、日本神話の神である、活津日子命(『古事 記』)あるいは活津彦根命(『日本書紀』)をいう。イクツヒコネを祀る主な神社としてはこの神社の他彦根市の彦 根神社がある。創祀年代不詳。現…

新宮大社(近江八幡市安土町下豊浦)

安土山の東南、山裾近くにある新宮大社(近江八幡市安土町下豊浦)。創祀年代不詳。確かなところでは、安土 町正禅寺所蔵の大般若経に、応永14年(1403)に(豊浦新宮大社)に経典を奉納したことが記されており、城下 町以前から存在していたことがわかる。 …

晩夏安土城址

安土城は、織田信長によって、琵琶湖東岸の安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)に建造され、大 型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つなど威容を誇った。建造当時は郭が琵琶湖に接していた。(昭 和期に干拓が行われたため、現在は湖岸…

里山シリーズ80湖西高島鵜川の風景

水田地帯が広大な湖東に比べ、湖西は比良山系の山裾が琵琶湖の湖岸近くまで迫っているため、水田地帯が 狭く棚田が多い。湖西線も山際と水田地帯のすき間を縫うようにして走っている。もうすぐ稲刈りの日がやってく る高島の鵜川の風景である。

湖北今津浜夏の名残りその2

沖に竹生島の島影が浮かぶ今津浜、打ち寄せる波が湖岸の樹木の根元を洗っていた。

湖北今津浜夏の名残りその1

湖北今津浜は松並木がとりわけ美しい。9月上旬の湖北はまだまだ残暑厳しく、秋の訪れの気配など感じられな いが、それでも激しく岸に打ち寄せる波がなんとなく秋を感じさせてはいた。松並木が途切れたあたりにある小さ な漁港から眺めた伊吹山の山頂は雲が…

晩夏の落日その4(琵琶湖水ヶ浜)

あひるが泳ぐ水ヶ浜晩夏の風景・・・

晩夏の落日その3(琵琶湖水ヶ浜)

美しい琵琶湖、晩夏の風景・・・

晩夏の落日その2(琵琶湖水ヶ浜)

晩夏の夏にはまだ大きな積乱雲が浮かんでいる。そうこうするうちに陽は傾き、西空が赤く輝きだすと比良山系 の稜線が黒く浮かび上がったきた。

晩夏の落日その1(琵琶湖水ヶ浜)

近江八幡の長命山が半島のように突き出て、山塊が琵琶湖に急激に落ち込んでいる場所に、猫の額のような小 さな浜辺がある。水ヶ浜という。ここから眺める琵琶湖の対岸の落日が四季を通じて素晴らしく、浜にある「水ヶ 浜」というロッジ風のカフェの客が近年…

中山道守山宿その3

守山西銀座から東へしばらく行くと東門院がある。「守山」の地名は比叡山延暦寺の東の関門として、東門院が 創建されたことに由来する。すなわち、比叡山を守るという意味である。かつて多くの旅人がくぐったであろう仁王 門に掲げられた大きな提灯が印象的…

中山道守山宿その2

在任期間はわずか69日、日本政治史上4番目の短命内閣に終わった総理大臣がいる。故宇野宗佑である。 宇野はここ守山市の出身で造り酒屋「荒長(あらちょう)」の長男として生まれた。宇野家は、江戸時代「年寄」と 言う役職を務め、「長左衛門」と名乗って…

中山道守山宿その1

滋賀県守山市に残る守山宿。中山道67番目の宿場(→中山道六十九次)。江戸時代初期の1642年に「守山宿」 として制札が与えられた。 この「守山」の地名は、比叡山延暦寺の東の関門として、東門院が創建されたことに 由来する。すなわち、比叡山を守るという…

晩夏金剛輪寺その8

本堂の周囲を散策してから二天門をくぐって帰る頃には、陽の光はさらに傾き、お地蔵さんの林立する参道あた りは光と影が満ち溢れていた。地面に影を落とした風車の、カラカラと鳴る乾いた音に背中を押されるようにして 石段を下っていった・・・もうすぐ初…

晩夏金剛輪寺その7

晩夏の午後は午後4時過ぎともなると日は西にやや傾き、陽の光は斜めに射すようになる。静寂が包む金剛輪 寺の境内である。

晩夏金剛輪寺その6

参道の両側で参拝客を迎えるお地蔵さん、その向こうに見えてくるのが重要文化財である二天門(様式上、室町 時代末期の建築。元来は楼門(2階建て門)だったが、近世に2階部分が取り払われている)である。その両側に は大きなわらじが吊り下げられているのは…

晩夏金剛輪寺その5

千体地蔵の列はどこまでも続く・・・寄贈者の想い、祈りに押し戻されるような錯覚におちいりながら、一歩一歩 石畳を踏みしめてゆく。

晩夏金剛輪寺その4

池泉回遊式庭園の奥から右回りの道を進むと千体地蔵参道へ出る。本堂へ向かう参道の両側には千体地 蔵が並び、参道のそばの平地にも地蔵が整然と立ち並んでいた。現在1900体あるという。同じ大きさの 同じ顔かたちのようだが、微妙に違う。風車が飾られ、番…

晩夏金剛輪寺その3

回遊式庭園であり、池の淵に沿った小道は本堂への参道に続いている。木漏れ陽の落ちた苔はしっとりと湿り 気を帯び、あたりは静かな夏の店仕舞いのようなたたずまいに包まれていた。

晩夏金剛輪寺その2

緑の回廊に誘われて参道をすすむと左手にあるのが明寿院。その左手の門をくぐると国指定の名勝庭園があ る。池泉回遊式庭園で桃山、江戸初期、中期の三庭からなり、作者不詳であるが、老杉蒼松の自然を背景とし、 灯籠泉石樹木の配置等、素晴らしく、晩秋の…