2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧
千手観音立像 本尊・盧舎那仏坐像 薬師如来立像 唐招提寺は、奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊は廬 舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐…
国宝 聖観世音菩薩 境内の東回廊の外側にある東院堂は、養老年間(717~724)に吉備内親王[きびないしんのう]が元明天皇[げ んめいてんのう]の冥福を祈り、建立された。奈良時代は現在地の東側に建てられていたが、天禄4年(973)の 火災で焼失した。…
昭和51年に金堂、同56年に西塔が落慶し、以後中門・回廊の再建工事と平行して大講堂の復元設計に着手。 基本設計は西岡常一棟梁で金堂以来一貫した裳階付の薬師寺独自の様式。大講堂は正面41m、奥行20m、 高さは約17mあり伽藍最大の建造物である。 大講…
国宝 薬師三尊像 月光菩薩 薬師瑠璃光如来 日光菩薩 インターネットから転載 金堂は享禄元年(1528)この地域の豪族の戦火に巻きこまれ、西塔などと共に焼失。その後、豊臣家が金堂の 仮堂を建て、その後本格的な金堂の再建に取りかかる筈であったが、豊臣…
西塔は華やかな塔だけに遠目にも華やかで美しい。とくに陽が生駒の山並みに傾く頃、法輪が鮮やかに輝きを 放ち出す。直ぐ脇を近鉄電車が走る。いまなら絶対に許されないことだが電車と西塔の組合わせもまた一興で ある。 宮大工の西岡常一は著書の中でこん…
西塔は昭和56年(1981)に復興された。東塔と比較すると、まずその鮮やかな色に目を奪われるが、またそれは 奈良を表わす色使いでもあると言える。塔の連子窓[れんじまど]に使われている色を「青[あお]」色、扉や柱に 使われている色を「丹[に]」色と…
東塔特別公開のパンフレットから 国宝。現在寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)にさかのぼる唯一のもの。総高34.1メートル(相輪含む)。 日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4 番目…
奈良西ノ京薬師寺。正面から見て金堂の右にある国宝東塔は創建当初残る唯一の建物である。この塔が今年 から大修理される。工事に建立以後、現在まで約1300年が経過し、その間建物を保持するための修理が幾度 か行われてきたが、今回行われる大修理は保存と…
西教寺「雛人形展」の風景。もともと寺で保存されてきた人形や毎年、西教寺で行われる人形供養法要へ寄せ られた人形の中から供養して、選び残された人形が飾られている。
西教寺は明智家菩提寺であり、光秀の妻・熙子や明智一族の墓が安置されている。元亀2年(1571)の比叡山 焼き討ちの際に西教寺も焼失したが、その後付近の琵琶湖岸に築城された坂本城城主となった光秀は西教寺 の大檀越となり、寺の復興に力を尽くした。妻の…
西教寺(さいきょうじ)は、滋賀県大津市坂本にある仏教寺院。天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山。 比叡山東麓の大津市坂本地区の北方にあり、比叡山三塔の一つである横川(よかわ)への登り口に位置する。 付近には比叡山の鎮守である日吉大社など…
伊崎寺からの帰途、湖面に突き出た小さな半島、伊崎半島の波打ち際に降りてみた。対岸には雪を被った比良 山曇り空の中にぼんやりとした稜線を見せていた。早朝からの漁を終えた漁船が心地よいエンジン音を響かせ ながら次々と半島の向こうに姿を消し港に帰…
竿飛堂の下から竿が突き出ている。「竿飛び行事」は長さ13m、30cmの湖上に突き出たこの角材から7m下の湖 面に飛び込む行事である。 竿飛びは約1200年前の平安時代頃から仏教修行として伝わり、延暦寺の修行僧が湖上を行き交う船から浄財 を募るために竿の先…
伊崎寺。 近江八幡市の北、琵琶湖に突き出た小さな半島の先端に建つお寺である。 今は陸続きであるが、昔は湖に浮かぶ島(伊崎島)だったといわれ、湖から来る信者を迎えるため、琵琶湖に面 して山門が立っている。貞観年間(859~877)開基とされ、比叡山…
船溜りに接する湖岸道路を大型トラックが疾走してゆく。
沖に沖島を眺望できるここは船溜りである。船溜りとは小さな漁港をいう。冬の無人の船溜りには寂寥感が漂う。