京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

まつりの顔、顔・・・

最後に祭に参加する若衆や子供たちの表情を紹介して、このページを終えたい・・・

御輿、対岸に着く・・・

八条通りに架けられた桂大橋の北側のたもとに着いた御輿はまた若衆に担がれ、橋の下をくぐって下流側の 河川敷を進み、6基の御輿が集合するとこれで船渡御の神事が完了することとなる。

御輿、桂川を渡る・・・

御輿を乗せた舟はいったん川上に漕ぎ出し、川の流れに乗って下りながら対岸に向かう。これを船渡御(ふなと ぎょう)といい、重さ1トン以上もある御輿をバランス良く神船の上に乗せて桂川を下る神事であり、神幸祭最大 の見せ場ともなっている。

御輿、お渡り開始・・・

神幸祭は出御祭とも呼ばれ、4月25日に松尾七社(大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之 社)の御輿(月読社は唐櫃)が、ご本殿のご分霊を受けて、拝殿を三回まわった(拝殿廻し)後、順次社頭を出発 し、松尾・桂の里を通って桂離宮の東北…

歩道橋の上から眺める御輿・・・

御輿は阪急嵐山線に沿って物集女街道を南下。空は抜けるような青空である。桂離宮に近づくと沿道の樹木の 緑は深くなり、静かな住宅街の狭い道を御輿は通り抜けてゆく。

御輿、桂川のお渡り場に向かって・・・

御輿は楼門をくぐり、若衆のホイット、ホイットの掛け声も勇ましく、ややおどけたような独特の足取りで参道を進 むと、周囲からは歓声と拍手が起こり、祭の雰囲気は嫌がうえにも盛り上がってゆく。 鳥居を出たところで御輿は台車に乗せられ、桂離宮のそばの…

御輿

御輿は神霊が御旅所などへ渡御するに当たって一時的に鎮まる輿であり、ご神体を乗せた御輿を担ぐこ とは氏子たちにとっては名誉なのだ。ご神体を乗せた御輿は拝殿の周りを回るうち、御輿を担いだ氏子 衆たちの気持は次第に高まってゆく。そして山吹に彩られ…

神事

松尾大社神幸祭の神事。 境内には御輿が6基集まる。御輿が出発する時に、本殿前で御霊を御輿に授かる神事が行われる。神事が終 わると、御輿は拝殿の周りを3周する。最後の3周目に本殿前で御輿を高々に持ち上げる。拝殿を周回する時に は、白い法被を着…

松尾大社

平成22年の京都松尾大社の神幸祭は抜けるような青空のもとで行われた。前回(平成19年)の ときは雨模様で神輿にはビニールが掛けられていたが、今年はきらびやかな神輿の飾り付けを 惜しげもなく五月の白日のもとにさらしていた。今年は天気のよさに誘われ…

まつりの風景

どこでも見かけるまつりの風景である。まつりの風景には見る者の涙腺を刺激し、胸が締め付けられるように熱く なるシーンがある。最後の4枚の写真がそうである。 これらの写真で「水口曳山祭」のページを終えたい。

まつりのこどもたち

水口のこどもたち・・・・ やはり屈託のない子供たちはどこでもまつりの主人公である。

お囃子

曳山の中で奏される緩急の変化をつけた勇壮な調べで、「ヤマの囃子」などと称されていたが、戦後になって「水 口ばやし」と称するようになった。江戸の祭囃子の流れを汲むものとされるが、地方色も加味されている。楽器は 大太鼓、小太鼓、鉦、篠笛の4種。 …

水口神社その2

曳山は次々と境内に乗り入れてくる。町中は静かに巡行してきた曳山も境内の入り口まで来ると、それまでのゆ ったりとしたお囃子からテンポの速い、曳き手たちを力づけるような勇壮活発なお囃子に変わり、曳き手たちは歓 声をあげて最後の力をしぼって曳山を…

水口神社その1

各町から出発した5基の曳山は、4月8日に行われたくじとり式で決められた順番で巡行したのち、水口神社に到 着すると、勢いをつけてきれいに飾り付けられた境内に乗り入れ、本殿の前で祈祷を受けた後、5基の曳山は境 内に勢ぞろいする。

曳山巡行その2

水口は京から伊勢へ抜ける道筋にあり、中世から町が形成されていた。戦国時代に羽柴秀吉の命で中村一氏 による水口岡山城が築城されると、水口は城下町として発展。江戸時代初めには、3代将軍徳川家光の上洛に 際し、将軍の宿館として水口城が造営された。…

曳山巡行その1

町中から水口神社までの曳山の巡行。曳山の方向を転換する曳きまわしは京都の祇園祭や長浜の曳山と違っ て後方の曳き棒に体重を掛けて前輪を浮かしながら徐々に方向を変えてゆく。合羽を着ての雨の中の巡行は綱 を握る手も、足も滑って曳き手たちも大変であ…

曳山

滋賀県甲賀市水口町の水口神社で行われる水口曳山祭は江戸時代中期の享保年間、この町に住む町民の力 によって創り出された祭礼。 4月19日の「宵宮祭」では、神社に神輿(みこし)が飾られ、各町内では曳山に提灯を飾りつけて宵宮ばやしを奏 で、祭り気分を…

MIHO MUSEUMの枝垂桜

MIHO MUSEUM(みほ・みゅーじあむ)は、滋賀県甲賀市信楽町にある私立美術館。 信楽町郊外の自然豊かな山中にある美術館は、「桃源郷」をイメージして造られている。レセプション棟から桜並 木を通ってトンネルをくぐり、その先の吊り橋の向こうに展示館が…

子ども歌舞伎その4

写真3 天満宮菜種御供 時平の七笑 時平役 11歳 写真5 男の花道 漢方医道庵役 9歳 写真7 〃 加賀屋東蔵 9歳 写真8 〃 御幣使 5歳

子ども歌舞伎その3

かわいい男の子たちの熱演・・・ 因みに写真1 寿三番叟の演者 10歳 写真4 天満宮菜種御供 時平の七笑 左中弁希世役 9歳 写真5 〃 刈屋姫 7歳 写真6 〃 春藤玄蕃 12歳

子ども歌舞伎その2

気品のある艶と色気、そして女形としての役者魂を心に秘めて懸命に演じ、舞踊る。

子ども歌舞伎その1

萬歳楼(瀬田町)の出し物「男の花道」の主役、加賀屋歌右エ門を熱演する小学校五年生杉村祐門君。 女形の歌舞伎役者を演じているが、とても11才の男の子とは思えない台詞回し、演技、所作であり、観客を圧倒 的に魅了していた。 物語のあらすじ 浪速に咲いた…

まつりのこどもたち

まつりで見かけたこどもたちのスナップ写真。 まつりに参加するこどもたち、まつりを見に来たこどもたち、露店で買い食いを楽しむこどもたち・・・・ まつりにこどもたちの笑顔と歓声は欠かせない。

曳山の曳き手その4

ようやく通りに出た瀬田町組の萬歳楼はしばらく長浜八幡宮の参道に沿った通りを進み、いったん舞台上の子 供役者たちを降ろしたのち、旧国道8号線を横断し、2回目の歌舞伎上演の場所まで古い町並みの中を進んでゆ く。大勢の見物客は曳山について移動するが…

曳山の曳き手その3

曳山は境内を出て直角に右折する。狭い道だから曳山を小刻みに右に振って出てゆくのだが車のように切り替 えができないからなかなか大変だ。そばの店舗をかすめるようにしてようやく曳山は通りに出る。常磐町の次が 萬歳楼(瀬田町組)だ。

曳山の曳き手その2

常盤町の曳山、常盤山の曳き回し。舞台には「天満宮菜種御供 時平の七笑」を演ずる子供歌舞伎のチビッコ 役者たちが神妙な面持ちで座っている。京都の祇園祭では車輪の下に青竹を敷いて水を掛けながら車輪を横 滑りさせるが、長浜の曳き山にはそんな技術は…

曳山の曳き手たちその1

インターネットサイトから転用 曳山は、長さが大きいもので9m、高さが7m、重さが約5~6トンあり、これを十数人の曳き手が引っ張る。曳き手 はそろいの半纏を羽織っているが町によっていろいろな趣向をこらした半纏であり、これだけでも町内同士の対 抗心…

曳山の美その2

江戸時代の中期以降、浜壇と呼ばれる長浜独自の仏壇の様式を確立した元禄時代の名工・藤岡和泉とその一 門の匠の技、国友の鉄砲鍛冶の手による美しい飾り金具の技術が惜しみなく注ぎ込まれ、今に受け継がれる絢 爛豪華な曳山ができあがった。 曳山の二階部…

曳山の美その1

まつりはその土地の民衆の財力やエネルギーに比例するものらしい。たとえば京都の祇園祭は千年続く都に住 む大衆の誇りというエネルギーが今日まで祇園祭を伝承してきたし、大津まつりはかつて琵琶湖の水運を一手 に引き受けてきた大津商人の財力が基となっ…

まつりの風景その2

曳山(山車)は現在各町に合計13基あるが、この内4基が毎年交代でまつりに参加する。だから各町は4年毎に 当番が回ってくることとなる。今年の曳山は常盤山(呉服町組)、萬歳楼(瀬田組町)、孔雀山(神戸町組)、翁山 (伊部町組)の4基である。4年毎であ…